尼寺を開いたのは赤松入道円心の息女であるということであります。
播磨《はりま》の国赤松入道円心の息女、その姫の名は何というたかわからぬ。また一説には入道円心の娘ではなくその孫であると。ともかくもその当時において屈指の大名であった赤松家の息女が、尼となることを志したのは、よくよくの事情があったことであろうが、その事情もよくわかりません。
この寺へ訪ねて来て、抜隊禅師に出家の願いを申し出でたところが、その願いを聞いた禅師は、「出家は大丈夫のこと、女なんぞは思いも寄らぬ」と言いました。
けれどもこの姫の決心は強いものでありました。そこで花のように美しい面《かお》へ、無惨にも我れと焼鏝《やきごて》を当てて焼いてしまいました。その強い決心にめでて禅師も、ついに姫の尼となる望みを許したということであります。その赤松の息女の歌として伝えられるのに、
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面《おもて》をば恨みてぞ焼くしほの山
あまの煙と人はいふらん
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その赤松の姫君がこの尼寺の開基ということであります。それは南北時代のことであるから、かなり時が経っています。
今の庵主は五十|許《
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