だりして、居たり立ったりしていました。これらの連中がそこへ暫く待っていると、家の中から、
「御苦労、御苦労」
と言って出て来たのは役割の市五郎であります。米友はこの男を知らないけれども、多分、これがここの親方だろうと思いました。
「親方、今晩は」
と言って、駕籠舁どもは頭を下げました。
「さあ、お嬢様、これにお召しなさいまし、お女中さんはこちらのにお召しなさいまし」
市五郎が、あとを顧みてこう言ったから、米友は、
「ちぇッ、提灯の火が暗えなあ」
米友は腹の中で業《ごう》をにやしました。米友が身体を固くして、固唾《かたず》を呑んで、その上に業をにやして待っているのは、今、市五郎がお嬢様と呼び、お女中さんと呼んだその人の影《すがた》をよく見たいからであります。まもなくそこへ現われたのは――一層口惜しいことに頭巾《ずきん》を被《かぶ》っています。頭巾を被って面《かお》の全部はほとんど見えないから、米友が身悶《みもだ》えしているうちに、その頭巾を被った若い娘は前の方の駕籠へ、市五郎が手を取って乗せて垂《たれ》を下ろしてしまいました。
「ちぇッ」
米友は口惜しがって地団太《じだんだ》を踏みましたが、続いて同じような形《なり》をして、同じ年頃の娘が、これも同じように頭巾で面を包んで出て来たのを見ると、
「おや」
米友は実にカッとしてしまいました。
「おっと待ってくれ」
こう言って暗《やみ》の中から飛び出してしまったのは、米友としてはぜひもないことであります。
「何、何だと」
はしなく米友がその場へ飛び出したことによって、その場は大混乱を惹《ひ》き起しました。
その混乱を聞きつけて折助どもが飛び出して来ました。折助どもが米友を支えている間に、市五郎は、差図してズンズン駕籠を進ませてしまいました。
ほどなく米友の姿は市五郎の家の屋根の上に現われました。彼は杖を持って、いつのまにかその俊敏な身を屋根の上へと刎上《はねあ》げてしまったものと見えます。
米友の姿が屋根の上に現われた時に、下では折助どもが喧々囂々《けんけんごうごう》として噪《さわ》ぎ罵りました。梯子《はしご》を持って来いと怒鳴りました。俺は頭を三ツ四ツ続けざまに、あの棒で殴られたと言って歯咬《はが》みをしているものもありました。眼と鼻の間を一撃の下に打ち倒されて、鼻血を出して頭の上げられない者もありました。博奕《ばくち》をしていたのも、無駄話をしていたのも、みんな馳せ集まって来ました。
下では、こうして折助が芋を揉《も》むようにして噪いでいるのを、米友は見下ろしてハッハッと息を吐きました。
「ちぇッ、口惜しいなア、こいつらに邪魔をされて、あの駕籠を追蒐《おっか》けることができねえのが口惜しいなア」
屋根の上で足を踏み鳴らしつつ口惜しがりました。
四辺《あたり》を見廻しても、夜は真暗であります。真暗い中に甲府の城が聳《そび》えています。二の廓《くるわ》は右手の方に続いています。前も左もいずれも武家屋敷であります。
屋根へ上った米友は、いつぞや古市の町で宇津木兵馬に追い詰められた時のように、屋根から屋根を泳ぐつもりでありました。
米友は小躍《こおど》りして屋根の瓦の上を走りました。
「ソレ、そっちへ行った」
折助が噪《さわ》ぎました。
「ヤレ、こっちへ来た」
梯子《はしご》が飛び廻りました。ヒューと石が飛んで来ました。
「危ねえ!」
お手の物で米友は、その石を発止《はっし》と受け止めました。
「竹竿で足を打払《ぶっぱら》え」
折助は物干竿《ものほしざお》を幾本も担ぎ出しました。跛足《びっこ》になった米友は、その危ない屋根の上をなんの苦もなく走ります。市五郎の宅から大部屋の屋根の上を鼬《いたち》の走るように走って、武家屋敷の屋根へ飛び移りました。
折助は、いよいよ噪《さわ》ぎました。梯子と竹竿とが盛んに担ぎ出されます。今や噪ぐのは折助ばかりでなく、武家屋敷の者共が、みんな家々から飛び出して噪ぎました。担ぎ出されたのは梯子と竹竿ばかりでなく、水弾《みずはじ》きや、槍、長刀《なぎなた》まで担ぎ出されるという有様です。米友はよく屋根の上を走りました。或る時はこれ見よがしに直立して走りました。或る時はそっと身を沈めて走りました。
「ばかにしてやがら、手前たちをこっちは相手にしねえんだぞ、相手にするほどのやつらでねえからそれで相手にしねえんだぞ、俺らが逃げりゃあいい気になって追蒐《おっか》けて来る手前たちの馬鹿さ加減の底が知れねえや」
こう言って米友が立ち止まって息を切った。屋根の上から下を見ると、家並《やなみ》はそこで尽きて足許は二の廓の堀の水。屋根から垣へ足をかけた米友の姿は、これもどこかの闇へ消えてしまいました。
四
何事か起るべ
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