来たのでございます」
「俺《おい》らはこの犬に引張られて来たんだ。もしこのお邸に、君ちゃんという女の子がいやしねえかな。俺らは米友というものだよ」
「友さん? ほんとにお前が米友さんなのかい。お前が本当に米友さんならば、わたしはお君に違いありません」
「そうかそうか、どうも声がよく似ていると思ったが、もし間違うといけねえから、よく聞きすましていたんだ。俺らの声もよく聞き分けがつくだろう、声だけ聞いても米友の正物《しょうぶつ》だということがわかるだろう、第一ムクがここまで俺らを引張って来たということが何よりの証拠だ」
「ああああ、ちっとも違いないよ。どうしてまあ友さん、この夜中にここへ尋ねて来たの。まあ早くお入りよ。ムクがわたしにこの木戸をあけろあけろというから、何か大切《だいじ》なことがあるとは思ったけれど、友さん、お前が尋ねて来ようとは思わなかった、さあ早くお入り」
「入ってもいいかい、御主人に悪いようなことはないのかえ」
「そんなことはありゃしない、あったってお前さんのことだもの」
「俺らはいいけれど、連れが一人あるんだぜ」
「お連れが?」
「その連れが、いま生きるか死ぬかの境なんだ、俺らのことは後廻しでいいから、この背中に背負《しょ》っている人を助けるようにしてもれえてえのだ、君ちゃん頼むぜ」
「そりゃ大変。なんにしても、まあ早くお入り」
米友は、ぬっとその潜《くぐ》り木戸へ頭を突込みました。お君が雪洞《ぼんぼり》を差しつけて、入って来た米友を見ると、自分の身体よりも大きな男を一人背負って、手には棒を杖について、
「君ちゃん、久しぶりだな」
「友さん、よく尋ねて来てくれたねえ」
お君にとって米友が不意に訪ねて来てくれたことは、兄弟が訪ねて来たより以上の嬉しさでもあり頼もしさでもあります。米友をもてなす時のそわそわとした素振《そぶり》を見れば、お君はほんとうに子供らしくなってしまうのでありました。
お君は打掛などは大急ぎで脱いでしまいました。それでも髪だけは片はずしであることが不釣合いだともなんとも気がつかないほどに、米友をもてなすことに一心になってしまいました。
お君が米友を案内して来たのは、自分の部屋とは離れた女中部屋の広い明間《あきま》であります。
米友の背負って来た連れの大病人は大切《だいじ》に二人で荷《にな》って、蒲団《ふとん》の上に寝かせて、薬を飲ませておきました。
「友さん、いつお前江戸を立ってどうして甲府へ来たの。来るならば来るように、飛脚屋さんにでも頼んで沙汰をしておいてくれればいいに」
「冗談《じょうだん》言っちゃあ困る、飛脚屋に頼むにもなんにも、からきりお前の居どころが知れねえじゃねえか、それがためにずいぶん俺《おい》らは心配したぜ。ほら、ほかの軽業《かるわざ》の連中はみんな帰って来たろう、何かこっちで揉《も》め事があったとやらだが、でもみんな無事に帰って来て、両国でまた看板を上げてるのに、お前ばかりは帰って来ねえんだ。どうなったか、さっぱり様子がわからねえから、俺らはあの小屋まで聞きに行ったんだ。聞きに行くとお前、いつかの黒ん坊の失策《しくじり》があるだろう、それがために今でもあの親方が俺らをよく思っていねえんだ、それで追い払われちまったから腹が立ってたまらねえけれど、我慢してあの宿屋へ帰ってよ、それからこっちへ来る人があったから、その人のお伴《とも》をして連れて来てもらうまでの話はなかなか長いんだ」
「わたしだってお前、ずいぶん苦労をして死にかけたことが二度も三度もあったのよ。それでもムクがいてくれたり、また親切な人に助けられたりして、今ではお前、このお屋敷でずいぶん出世……をしているのよ。その間だって、友さんのことを心配していない日と言ってはありゃしない、どうかしてわたしの居所《いどころ》を知らせたいと思って、手紙を書いてもらって二度ばかり、両国のあの宿屋へ沙汰をしたけれども、さっぱりその返事がないから、わたしはどうしようかと思っていた」
「あれからの俺らというものは、あの宿屋にばかりいたんじゃあねえのだ。まあ追々ゆっくり話すよ、こうして会ってみりゃあ文句はねえのだが。そりゃあそうと気の毒なのはこの人だ、どこのどういう人だか知らねえが、口がまるきり利けねえのだ。ムクが案内するから俺らが天満宮の後ろの森の洞穴《ほらあな》の中から見つけ出して来たんだ、途中で冷たくなったから死ぬんじゃあねえかと心配して、俺らが急所へ活を入れてやって来たおかげで、どうやら持ち直した、この分なら生命《いのち》は取留めるだろう。口が利けるようになりさえすれば占めたものだが」
「明日になったらお医者さんを呼んで上げましょう、今夜のところは寒くないようにして上げておいて……友さん、もう遅いからお前さんもここへお寝なさ
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