よ。いったい、俺らの腕を試すつもりで斬りかけたのか、またホンとに俺らを斬るつもりで斬りかけたのか、そこんところがどうも解《げ》せねえやい、何とか挨拶をしろやい」
 米友はこう言いながら、槍を左の手に持ち直して身を屈《かが》ませました。もう先方が確かに斬ってかかる気遣いがないから、それで形をすっかり崩してしまって、そうして右の手を伸べて往来の地面を掻きさがしました。ちょうど手頃の石があったのを拾い取って、腰をのばしました。
「それ!」
 ヒューと風を切ってその礫《つぶて》が米友の手から暗夜の宙に飛びました。投げたものを受け留めることを商売にしていた米友は、また同時に投げることも巧みでありました。暗夜の宙に飛ぶ礫は聖人もまたこれを避けることができないはずであったけれど、幸いにして米友の投げた礫の的《まと》には、聖人も凡夫もいなかったと見えて、向う側の古池かなにかに飛んで行ってパッと水音を立てただけです。
 礫は空《むな》しく飛んだけれども、
「合点だ!」
 米友はけたたましく叫びました。叫ぶと共にその棒を一振りして水車のように廻し、
「危ねえものだが、その方はお手の物よ、餓鬼《がき》の時分からそれで飯を食っていたんだ」
 水車のように廻した棒の七三のあたりへ、カッシと立ったのは刀の小柄《こづか》であります。それを受けとめるべく米友は、前のような惨憺《さんたん》たる苦心に及びませんでした。南禅寺の楼門でする五右衛門の手裏剣を柄杓《ひしゃく》で受けた久吉《ひさよし》気取りに、棒に食い付いた小柄を抜こうともせず、再び身を屈めて小石を拾いました。拾い取るとヒューと手の内から飛びました。手の内から飛ぶと、矢継早《やつぎばや》にまた拾いました。拾っては投げ、拾っては投げる米友の礫、それは上中下の三段から、槍を遣《つか》う如く隙間《すきま》もなく飛ぶのでありました。
 礫《つぶて》は隙間なく飛んだけれども、やはりその手答えはなくている途端に、
「破牢! 破牢!」
 この声が闇を圧して物凄く響き渡ります。
 それを聞くと米友は、礫を打っていた手を少しく控えて耳を傾ける。このとき早く、
「あっ!」
と言って米友は、また後飛びに五間ほど、今度は腰を立て直す隙《ひま》がなくて、仰向けに大地へ倒れてしまいました。仰向けに倒れたけれど米友は、倒れながらその槍を構えることを忘れませんでした。そしてやや暫くその形で、すなわち倒れたままで槍を構えた形でじっと身動きをしません。米友がこんな形をしてじっとしているのはかなり長い時間でありました。しかしながら事はそれだけで、それ以上の破綻《はたん》を示しませんでした。すべてこれは米友の一人芝居であります。五里霧中の中で米友は、始終こうして一人芝居を打っていました。しかしながら米友は、まだまだこの構えから起き上ることはできません。四方転《しほうころ》びの腰掛をひっくり返したような形をしたままで、いつまでも大道の真中に寝ているのは、他《よそ》から見ればかなりおかしい形でないことはないけれど、米友自身になってみれば、油汗を流しているのです。今の時間で言えば、ほとんど三十分ばかり、米友はこうして油汗を流して唸《うな》って槍を構えていました。そうしていた時分に米友は、
「エイ」
と言ってその槍を、やっぱり寝ながらにして横に一振り振ると、今度はたしかに手答えがありました。
「ワン!」
 米友の横に振った棒を飛び退いてまた飛びついて、ワン! といったのは人間ではない、かなり大きな形をしている犬の声でしたから、米友は勃然《むっく》としてはねおきました。
「ばかにしてやがら」
「ワン!」
「こん畜生」
「ワン!」
「まだ逃げやがらねえ」
「ワン!」
「殴《なぐ》るぞ、こん畜生」
「ワン!」
「それ!」
「ワン!」
 さすがの米友も呆気《あっけ》に取られてしまいましたのです。今まで必死になって相手にしていたのは、こんな犬ではないはずであります。相手が犬であるくらいであったならば、米友は惜気《おしげ》もなく十二神将や二十八部衆の形をして見せたり、また縁台がさかさになったような形をして、半時間も大道に寝ている必要はなかったのであります。
 五里霧中とは言いながら、その中にはまさに米友をして怖れしむべき敵があったればこそ、彼はさんざんの苦心をして、一人相撲や一人芝居を打って見せていたものを、その大詰に至って犬が一匹出て来て、舐《な》めてかかろうとは、いかな米友といえども力抜けがして、呆然《ぼうぜん》として起き上ったのも無理のないところでありました。
「こん畜生!」
 米友は業腹《ごうはら》になって、犬をこっぴどく打ち据えようとしました。しかし、この犬がまた追っても嚇《おど》しても容易に逃げないで、いよいよ米友の近くに飛びついて縋《すが》りついて
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