奥の形《かた》が、立ちはだかって棒を構えたところ、そのままにおのずと備わっているのでありました。こうして見ると、運慶の刻《きざ》んだ十二神将の形をそのままであります。
 不思議なのはそれのみではありません。米友が何故に遽《にわ》かに真剣になって槍を構えたか、米友自身もそれは知ることができませんでした。ことにその通りの五里霧中にあって、鼻の先に現わるるものさえわからない時に、そこに何者かがあって米友を驚かせたものとすれば、それも不思議ではありませんか。
 ただ米友の槍を構えたその形だけを見ていれば、例の運慶の刻んだ十二神将のような形が、さまざまに変化するのを認めます。十二神将が十二神将にとどまらず、二十八部衆にまで変化するのを認めます。
 槍を挙げて、あ、と言って散指《さんし》の形をして見せました。やや遠く離れて槍を抱えては摩醯首羅《まけいしゅら》の形をして見せました。またそろそろと懸《かかり》の槍を入れたその眼は、難陀竜王《なんだりゅうおう》の眼のように光ります。「エエ」と言って飛び上る時は、雷神が下界を驚かすような形をして見せます。して見せるつもりではない、米友においては、実に容易ならぬ生死の覚悟が、眼にも面《かお》にも筋肉にも充ち満ちているのだが、相手が例の如法闇夜の中にあるから、離れて見れば一人相撲を取っているとしか見られません。ややあって、米友はものの五間ほど一散に飛び退《しざ》りました。
 飛び退って、槍を下段に構え直して、ヤ、ヤヤ、と言って、口から咄々《とつとつ》と火を吐くような息を吐いて、もう一寸も進みませんでした。
 平常《ふだん》における米友は跛足《びっこ》でありますけれども、槍を持たした米友は少しも跛足ではありません。
 猿のような眼をクリクリとさせて、槍を下段へ取ったままの米友は、油汗をジリジリと流していました。
 これもまた平常における米友ならば、ここで得意の米友流の警句と啖呵《たんか》とが口を突いて、相手を罵《ののし》るはずであったが、この時は、エとか、ヤとか言うほかには言句の余裕がないようであります。
 それよりも大事なことは、その棒の頭へ槍の穂をすげる隙がないことであります。いつも懐中へ忍ばせて、必要ある場合には取ってすげる、自分一流の工夫の槍の穂を頭へつける余裕すらないのでありました。多くの場合において米友は、その槍の穂をすげる必要を認めません。棒だけを持って槍の必要につかえるのでありました。
 それにまた、穂をすげれば血を見ずしては納まらないのも、穂がなければ単に敵を懲《こ》らすだけで済む、という理由もありました。
 今は穂をすげなければならない場合になってきたと見ゆるに拘《かかわ》らず、なお米友は、それを敢《あえ》てするの余裕を持たないと見えます。
 ものの五間ほど飛び退《しざ》ってから、やや暫らくして、
「やい、出て来い、かかって来い、隠れていちゃあ相手にならねえ」
 ようやくのことで米友は、これだけの言葉を出すの余裕を持つことが出来ました。これだけの言葉を出したけれども、その構えは少しも弛《ゆる》めることをしませんでした。やはり米友は、この中で誰をか相手に戦い、今その相手を呼びかけたものであります。
 しかしながら、如法闇夜の中に何者も見えないように、何者の返事もありません。
「うむ、掛って来ねえのか、掛って来なけりゃあ、何とか言ってみろ、何とか言えば、俺《おい》らの方から掛って行く、返事をしてみろ、やい、一言《ひとこと》ぬかしてみろ、やい」
 米友は続いてこう言いましたけれども、掛っても来らず、一言の返事もありません。
「おかしな奴だな、斬りたけりゃ斬られてやるから出て来いよ、憚《はばか》りながら宇治山田の米友だ、斬って二ツになったら大《でか》い方をくれてやらあ」
 そろそろ米友の啖呵《たんか》が始まりそうな形勢です。
「うむ、何とか吐《ぬか》せやい、俺《おい》らの方から出て行ってやりてえのだが、理詰《りづめ》の槍になっているからそうはいかねえのだ、ここは手前《てめえ》の方から出て来るところだ、盲目《めくら》なら仕方がねえが、盲目でなかったら出て来いやい」
と米友は啖呵を切りました。盲目なら仕方がないが、盲目でなかったら出て来いと米友が言ったのは、故意に出たのではありません。しかしながら相手は決して出て来ませんでした。自然、米友は力抜けがしました。
「どうもおかしな奴だな、今、ああして俺らが後ろへ飛んだ時に、手前がもう一太刀追っかけて来ると、実は俺らも危《あぶ》なかったんだ。ナニ、身体《からだ》を斬られるまでのことはねえが、槍は二つに斬られていたかも知れねえのだ。俺らにとっちゃあ身体を斬られるより、槍を斬られるのが恥かしいくれえのものなんだ。それを手前が追っかけずにいるのが気が知れねえ
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