もの折助どもが総崩れに崩れ立ったのは無理もないことです。鳥の羽音でさえ大軍を走らすのだから、狼の一声が折助を走らすのはまことに無理もないことでした。
 事実また、この真暗な中へたしかに真黒な怪物が音も立てずに飛び込んで来て、ヒラリヒラリと飛び違えながら、当るを幸いに折助を噛《か》みつぶし噛みつぶして廻る早業《はやわざ》は、たしかに類を呼ぶ千疋狼の類《たぐい》が、よき獲物ござんなれと、一挙に襲いかかったものとしか思われません。
 それ狼! と言って総崩れに崩れて逃げ出したから、まだ幸いでした。もしぐずぐずしていて、それは狼ではない、犬だ、なんぞと正体を見届けたつもりで踏み止まろうものならば、挙げて一人も残さず折助が噛み伏せられてしまったに違いない。それでも一人か二人の死人を残し、多数の怪我人を出して、逸早《いちはや》くこの場を逃れ得たのが幸いでありました。
 しかし、かわいそうに軽業の女たち、折助は逃げ去ったが今度はいっそう怖ろしい骨までしゃぶる獣、それの襲撃と聞いて歯の根が合わなくなりました。けれどもその怖ろしい獣は、存外、女たちにはおとなしくありました。
 縛られて歯の根の合わない女
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