の場合において思い出さないわけにはゆきません。
「ムクを解いてやりさえすれば、ここにいる折助どもなんぞ幾人来たって怖くはない、ナゼ早くそこに気がつかなかったろう、力持のおせいを恃《たの》みにするよりは、あのムクの方がどのくらい強いか。ああ、早く鎖を解いて、このやつらに嗾《け》しかけて噛み散らかさしてやりたい、誰かムクの鎖を解いてやるものはないか」
お角は自衛の剃刀を逆手《さかて》に持って、一方には寄せ来る折助の強襲に備えて味方を励まし、一方には繋がれたムクの方を見て焦《じ》れに焦れたが、
「ええ、仕方がない、ああしておけばムクは焼け死んでしまう、おせいさん、力持のおせいちゃん、お前はわたしに代ってここを守って、みんなの指図をしておくれ、わたしは今ムクを助けて来るから、ムクの鎖を解いて来るから」
「親方さん、危ない」
「ナニ、大丈夫だよ」
お角は剃刀を口にくわえて、着物の裾をキリキリと捲《まく》る。
今でこそ一座の親方になって自分は舞台へ立たないけれども、お角もこの道で叩き上げた女、高いところから舞台の方を見下ろして、人の頭の薄いところを見定めてヒラリと躍らして飛び下りた身の軽さ。
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