くては焼け死んでしまう、かわいそうに、誰かムクの鎖を切っておやりよう」
お角は気がついて高いところから叫んだけれども、組み合い押し合いで、誰もそれに応ずるものがありません。
猛犬ムク! お角もよくその猛犬であることは知っています。ムクが吼えると、牛や馬までが竦《すく》んでしまったこともこの道中で実見しました。
ムクが通ると、街道のいずれの犬も尾を捲いて軒の下へ隠れてしまったことも知っていました。桂川筋《かつらがわすじ》で一座の女が一人、橋を渡るとて誤って川へ落ちて押流された時、あれよあれよと騒ぐ人を駈け抜いて、ムクは水中へ飛び入り、着物の襟をくわえて難なく岸へ飛び上ったことも実見しています。旅芸人に因縁《いんねん》をつけたがる雲助や破落戸《ごろつき》の類が、強《こわ》い面《かお》をしてやって来た時にムクがいて、じっとその面を見ながら傍へ寄って行くと、雲助や破落漢《ならずもの》の啖呵《たんか》が慄《ふる》えてものにならなかったことも再三あるのを心得ていました。猛犬ムクは、第一にお君にとって忠実な家来であると共に、この一行にとっては、二つとなき勇敢なる護衛者であったことを、お角は今こ
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