。珍らしいところで会ったからそれで昔馴染のような気がしてツイ、そちをここへ呼んでみる気になったのじゃわい」
「まあ左様でございましたか、伊勢の古市で……」
 そこでお君も思い当る。思い当ったけれども、古市で呼ばれた客の数は多数であります、このお侍がそのうちのドノお客であったかということは、お君の記憶に残っていませんでしたけれども、あの時分に贔屓を受けたことのあるお客とすれば、やっぱりそれでも昔馴染。
「それとは存じませず失礼を致しました、お忘れなく御贔屓下されまして、かさねがさね有難う存じまする」
「それでよろしい、ここへ来て盃《さかずき》を受けてくれ、そして久しぶりであの間《あい》の山節《やまぶし》をまた一曲聞かせてもらいたい」
「恐れ多うございますからこちらで」
「なぜそのように遠慮をする」
 敷居より内へは入らないお君、それをもどかしがって神尾主膳は畳を叩く。
「あの、お座敷では恐れ多うございますから、お庭先で御機嫌を伺った方が、手前の勝手にござりまする、あの古市で致しました通り、このお庭で御挨拶を申し上げましょう」
「なるほど、古市では座敷へ上らずに、庭へ莚《むしろ》を敷いて聞
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