…」
「お礼といったところで、何も土産《みやげ》を持って来やしないよ、俺らは主人の家を追《お》ん出《で》ちまったんだから」
「まあ、追い出されたの」
「追ん出されたんじゃない、追ん出たんだ」
「どうして追ん出たの」
「自分から出ちまったんだ、あんまり癪《しゃく》にさわるから出ちまったんだ、お前さんに拾ってもらった財布を家の中へ叩き込んで、それっきりで家を追ん出ちまったんだ。それだから、今の俺らは一文無しで宿なしよ。お前さんにはお礼をしなくちゃ済まねえのだが、そういうわけで、せっかくお金を拾ってもらったが、お礼をすることができねえんだ。けれどもね、黙っていちゃ悪いから、口だけで、お礼を言いに来たんだ。また俺らがどこか奉公口が見つかって、小遣《こづかい》でも出来たら改めてお礼に来るから、悪くなく思ってもらいてえ」
「まあ、お前さんはなかなか感心な人ね、その心持だけでたくさんよ。けれども、旦那の家をムカッ腹で飛び出すなんて、それはお前さんが若いからよ、思い直して、お詫《わ》びをしてお帰りよ」
「いやなことだ、いやなことだ」
「一国《いっこく》な人だねえ。そうして、これからどこへ行くつもりなの
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