っては、米とお菜と金を貰って、それでお粥をこしらえて食います。それを食ってしまうと、また鬨《とき》の声を上げて次の町内へ繰込みます。こちらに一組出来ると、あちらに一組出来ます。けれどもおかしなことには、別にそれが乱暴を働くというのではありません。ただこうして町内から町内を食って歩くだけのことらしいのです。それに江戸名物の弥次馬《やじうま》が面白がってくっついて飛び出す。出ないと幅《はば》が利《き》かなくなったり憎まれたりするから、表通りの商人までがこの貧窮組へ飛び込んでお粥の施しを受け、いっぱしの貧窮人らしい面《かお》をします。
 この連中が、昌平橋のところへ来て、町角へ大釜を据えました。誰がどこから持って来たか荷車が二三台、米とお菜がたくさんに積んであります。そうすると川の向うとこちらから、貧窮人が真黒くなって押し出して来ました。
 しかしながら昌平橋で貧窮組と別れた米友は、ひとり柳原河岸へやって来ました。
「お蝶さん」
「だあれ」
 米友に呼ばれた夜鷹のお蝶は、土蔵の裏から出て来ました。
「あら、お前さんはお金を落した人」
「お蝶さん、俺《おい》らはお礼に来たんだ」
「お礼なんぞ…
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