が一手に握ってしまって、一分一朱も帳面が固く、お絹がかえって虚器を擁《よう》するようになってしまったから、厭気《いやき》がさしてたまらないのです。

         四

 貸金を集めに一廻りして来た米友。
 神田の柳原河岸《やなぎわらがし》を通りかかったのは、今で言えば夜の八時頃でした。懐中《ふところ》には十両余の金があって、跛足《びっこ》を引き引きやって来ると闇の中から、
「ちょいと、旦那」
 呼ばれて足をとどめた米友の友造が、
「誰だ」
「様子のよい旦那」
 闇《くら》いところから呼んでいるのは女の声。ちょうどその時分、他に往来がとだえていたから、友造を見かけて呼んだものに違いないと思われます。
「俺《おい》らに何か用があるのかい」
「こっちへいらっしゃいよ」
「お前はそこで何をしてるんだ」
「そんなことを言わずに、こっちへいらっしゃいよ、ほんとうに様子のいいお方」
「ばかにしてやがら」
「小作りで華奢《きゃしゃ》なお方」
「ばかにしてやがら、小作りだろうと大作りだろうとお前の世話にゃならねえ」
「ねえ旦那」
「用があるなら早く言いねえな」
「何を言ってるんですよ、用があるから
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