た。あとにひとり残された兵馬。大方あいつらはここだけでは飲み足りないで近所の居酒屋へでも飲みに行ったものだろうと思いました。それで兵馬は落着いて眠ることができました。
その夜中に俄然《がぜん》として兵馬の夢が破られたのは、凄《すさま》じく吠える犬の声からであります。
兵馬はその犬の声で夢を破られると同時に、外で、
「痛ッ」
と絶叫する人の声。ガバと刎《は》ね起きて雨戸を推《お》し、燭台を取って外の闇を照して見ると、二人とも打倒れてウンウンと唸っているのは金助と木莵入《ずくにゅう》であるらしい。その傍に立っている人の影が一つ。
「もし、あなたは宇津木様ではございませんか」
「エエ?」
外から呼ばれたわが名。それは女の姿であり女の声であることだけはたしかです。
「もし、わたしは君でございます、伊勢の大湊《おおみなと》を出る時に船でお世話になりました、あの君と申す女でございます」
「ああ、お君どのか」
「そんなら宇津木様でございましたか、よいところでお目にかかりました」
「不思議なところでお目にかかる、ともかくもこれへお入りなさい」
「御免下さいませ。ムクや、このお方はわたしの御恩にな
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