、がんりき[#「がんりき」に傍点]お絹の逃げたのは甲斐の領分、双方ともに後をも見ずして逃げ去ったあとに、ひとり残る竜之助。
刀の血振《ちぶる》いをして道標の柱へ手をかけてほっと一息。
やがて持っていた刀をそこへ投げ出すと斉《ひと》しく、道標の下へ崩折《くずお》れるように倒れて、横になって落葉の上へ寝てしまいました。
昨夜の雨がまだ降り足りないで、富士の頭へ残して行った一片の雨雲がようやく拡がって来ると、白根山脈の方からも、それと呼びかわすように雨雲が出て来る。それで、天気が曇ってくると富士颪《ふじおろし》が音を立てて、梢《こずえ》の枯葉を一時に鳴らすのでありました。
竜之助は道標の下に倒れて、昏々《こんこん》として眠っている間に、サーッと雨が降って来ました。時雨《しぐれ》の空ですから、雲が廻ると雨の落ちるのも早い。
ちょうど雑木《ぞうき》の蔭になったところで、いくらか雨は避けられるようになっているが、葉末から落ちる時雨の雫《しずく》がポタリポタリと面《かお》を打つので竜之助が、うつらうつらと気がついたのは、あれから、やや暫らくの後のことでした。
「雨が降っているようだな」
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