ところの山を「天子《てんし》ヶ岳《たけ》」と呼び奉ること、そんなこんな伝説がいくつも存在しているこの山の奥、人を隠すにも隠れるにもよいところ、ことにその地には百二十度の温泉がある――お徳の温い心、いつも冷たくなっている竜之助の心を、そこで温かにしてやろうという世話ぶり、その世話ぶりがいつまで続くか。竜之助が温かい人になることができないまでも、お徳のような温良な山の女を冷たい人にはしたくないものです。
 湯の島へ着いて、ゆっくりと温泉に浸った机竜之助。
「ああ、いい気持だ」
 木理《もくめ》の曝《ざ》れた湯槽《ゆぶね》の桁《けた》を枕にして、外を見ることのできない眼は、やっぱり内の方へ向いて、すぎこし方《かた》が思われる。
「三輪明神の社家《しゃけ》植田丹後守の邸に厄介になっていた時分と、ここへ来て二三日|逗留《とうりゅう》している間とが、同じように心安い。どうも早や、おれも永らく身世《しんせい》漂浪《ひょうろう》の体じゃ、今まで何をして来たともわからぬ、これからどうなることともわからぬ。それでも世間はおれをまだ殺さぬわい、いろいろの人があっておれを敵にするが、またいろいろの人があってお
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