の秘説であります。
奈良王この地に御遷座ありしという伝説は、ここにお徳の口から伝えらるるばかりではなく、幾多の古書にも誌《しる》されてあるので、その奈良王とは弓削道鏡《ゆげのどうきょう》のことであるとの一説、ただに奈良の帝と伝えられている一説、また明らさまに人皇《にんのう》第四十六代|孝謙《こうけん》天皇と申し上げてある書物もあるのであります。
孝謙天皇は女帝におわします。弓削道鏡の悪逆、和気清麻呂《わけのきよまろ》の忠節などはその時代の出来事でありました。
けれども、天皇がこの地に御遷座ありしというようなことは、正史のいずれにも見らるるところではなく、ただこの地の伝説だけに残っているのであります。
村の中程に皇居の跡があるということ、塩の井、片葉の蘆、飯富村、御勅使川、十里四方万世無税、家康湯の島へ入湯のこと、みんなそれに附きまとうた伝説でもあり事実でもあるが、なおそのほかに、帝にお附の女房たちが、散々《ちりぢり》になって、このあたりの村々で亡くなった、それを神に祭って「后《きさき》の宮《みや》」と崇《あが》めてあること、帝が崩御《ほうぎょ》あそばした時、神となって飛ばせ給う
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