を拾って谷底へ投げ落すと、
「危ない、誰だい石を投げるのは」
 谷底から子供の声。
「おや、子供の声のようだ」
 七兵衛は深く覗き込んで、
「誰かいたのかい」
「人間が一人いるんだよ」
「人間が……そんなところで何をしているんだい」
「何をしたっていいじゃないか、お前こそ上で何をしているんだい」
「俺は旅人だが、下で音がするようだから石を抛《ほう》ってみた。そこにいるのはお前一人か」
「私一人だよ、もう石を抛ってはいけないよ」
「もう抛りはしない、その代り道を教えてくれないか」
「お待ち、今そこへ登って行くから」
「いいよ、お前が登って来なくても、こっちから下りて行く」
「危ないよ、上手に下りないと岩の上へ落ちて身体が粉になるよ」
「大丈夫――宇津木様、こんな谷底で子供が一人で何をしているのだか、ひとつ下りて行ってみましょう」
 七兵衛は兵馬を残して、木の根と岩角《いわかど》を分ける。
「小僧さん、どこだい」
「ここだよ」
 屏風《びょうぶ》のようになった岩の蔭。水を飛び越えて七兵衛は声のする方へ行って見ると、笠をかぶって首から肩へ袋をかけて、尻切半纏《しりきりばんてん》を着た十五六の
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