兵衛は細引をやめて煙草入れを取り、日記を書いている兵馬の方をちょいと覗《のぞ》き込みながら、
「大分、御精が出ますね」
「日記は、忙《せわ》しくともその日に書いておかねば、あとを怠る故」
「感心なことでございます。私共なんぞも若い時に、もう少し勉強をしておけば、もう少しよい人になったものでございましょうが、貧乏や何やかで、つい学問の方に精を出すことができませんで、今となっては後悔《こうかい》先に立たずでございます、若いうちに御勉強をなさらなくてはなりません」
七兵衛は述懐《じゅっかい》めいたことを言う。
「おやおや、絵図をお書きになりましたね。なるほど、甲州入りの絵図でございますね。よくこんなに細かにお書きなすったものでございますね。私なんぞはこの甲州を通ることが幾度あるか知れませんが、まだ絵図面を取ってみようというような考えを起したこともございませんのに、さすがにあなた様は」
七兵衛は兵馬が書いた甲州図を見て、
「なるほど、こちらの方が西川内領《にしかわうちりょう》、ここが万沢《まんざわ》でございますな。こちらが東川内領で十島《とおじま》。なるほど、この富士川を上ってここが福士、
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