め》を結ぶ。
米友は竜華寺《りゅうげじ》の方へ足を向けて、
「それにしても、俺《おい》らたち二人を泥棒の罪に落した奴は誰だろう、きっとほかに泥棒があるんだぜ、そいつが盗んで、俺らたちに罪をなすりつけたんだな」
「きっと泥棒がほかにあるんだよ、どんな奴だか知らないけれど憎らしいねえ」
「二人をこんな目に会わせて、故郷を立退かせるようにしたのもそいつの仕業《しわざ》なんだ、早く捜《さが》し出して明《あか》りを立ててみてえものだ」
「ほんとうに早くその悪者を捉まえてやりたい」
「ムクは知っているんだろうよ、備前屋へ入った泥棒をムクは知っているに違いない」
お君はムクに話しかけるように言ったが、ムクは、やはり黙って歩いていました。
「そうよ、ムクはきっと知っている」
九
庵原《いおはら》村の無住同様な法華寺《ほっけでら》。竜之助を乗せた馬の轡《くつわ》を取ったがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、そこへ机竜之助を連れて来ました。
「先生、どうかここんところへお坐りなすって下さいまし」
竜之助の手を引いて坐らせたのは大きな囲炉裡《いろり》の横座《よこざ》。
煤《すす》だらけになった自在鍵《じざいかぎ》、仁王様の頭ほどある大薬鑵《おおやかん》、それも念入りに黒くなったのを中にして、竜之助とがんりき[#「がんりき」に傍点]とは炉を囲んで坐りました。
「もう大丈夫でございます、先生、ここまで来れば」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は頻《しき》りに焚火《たきび》をする、その焚火が燈火《あかり》の代用をするのであります。
「今、坊様に頼みましたから、ほどなくお夜食が来るでござんしょう、どうも御覧の通りの荒れ寺でございます……と言って、先生にはおわかりになりますまいが、本堂も庫裡《くり》も山門も納所《なっしょ》もごっちゃなんで。そうしてこの坊主というのが、引導も渡せば穴掘りもやろうというんでございます」
竜之助は例の通り頭巾《ずきん》を被ったなりで、刀は側《わき》に置いて、焚火に手をかざしています。その様は、がんりき[#「がんりき」に傍点]がなぜ自分を引張って来たかもわからず、どうするつもりだか知らないようでしたが、
「お前さんは、どういうお人だい」
竜之助はこう言って、はじめてがんりき[#「がんりき」に傍点]に問いかけました。
「わっしでございますか」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、焚火にうつる竜之助の蒼白い面をジロジロと見て、
「先生の方からは初めてのお声がかりだが、わっしの方ではとうからお近づきなんで」
「どこで会ったかな」
「浜松で、お近づきになったのでございます」
「浜松のどこで」
「へへ、あの大米屋という宿屋でございます」
「ははあ」
竜之助は頷《うなず》いた。
「お心当りがございましょう」
「あるある」
「へへ、どうもその節は飛んだ失礼を致しました」
「二つに斬ってやろうかと思った」
「おっかないこと――しかし先生」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は胡坐《あぐら》を組み直して、
「本当のことを申し上げれば、今までに先生のようなお方に出会ったのは初めてでございます、あの晩こそ兜《かぶと》を脱いでしまいました、出て行けば斬られる、へたに引込めば、やっぱり斬られる、五尺の間を引上げるに夜明けまでかかるなんぞは、今までに例のなかったことでございます」
「それでも感心によく逃げた」
「命からがら引上げて来ましたが、いや今度という今度は失敗《しくじり》つづき、先生のところで失敗《しくじ》って、それから坊さんでまた失敗りました。こうなっちゃ、がんりき[#「がんりき」に傍点]も焼《やき》が廻って、少々心細くなりました」
「あれは遊行上人《ゆぎょうしょうにん》だというではないか」
「左様でございます、遊行上人。先生には斬られ損《ぞこな》い、坊さんには丸められちまい、せっかく磨《みが》いたがんりき[#「がんりき」に傍点]の面《かお》もつぶれそうでございますから、なんとか眼鼻のあくようにしようと思って、執念深くもしょっちゅうあれから、お後をつき通しでございました」
「後を跟《つ》いても跟《つ》き栄《ば》えもすまいな」
「ところがいいあんばいに、こんな風向きになりましたから、ここでまたどうやらがんりき[#「がんりき」に傍点]の目が出そうでございます」
「そうして、お前はどうするつもりで拙者をここまで連れて来た」
「どうするつもり? そうおっしゃられると、ちと御返事に困りますが、あっしどもの仕事は、こうすればこうなるというような算盤《そろばん》でやるんではございません、出たとこ勝負で、いたずらがしてみてえんで」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は皮肉な薄笑いをして竜之助の面を横から見て、
「まず第一には、七兵衛の野郎を出し抜いたのが面白いんでございます、その次には、あの切髪の御新造《ごしんぞ》を烟《けむ》に捲いてやったのが面白いんでございます、それから先生――先生を馬に乗せてこっちの方へお連れ申すと、あとから七兵衛と、それから先生を仇《かたき》だといっている若い侍と、それからもう一人、あの艶《あで》やかな御新造が追蒐《おっか》けて来るにきまっている、そこでまた面白い一仕事があるんでございます」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、自分が筋書《すじがき》を書いて役者に踊らすような気取り。
「がんりき[#「がんりき」に傍点]」
竜之助の声が、少しばかりひやりとする。
「何でございます」
「いたずらも仕様がある、へたなことをすると命がないぞ」
「へへ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、これまた少しばかり退《さが》り気味で、
「そりゃもう承知でございます」
竜之助は左へ置いた刀を引く、斬るつもりでもなく嚇《おど》すつもりでもないらしい。
「先生、まだお斬りなすっちゃいけません」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は片手を出して押えるような真似《まね》をして、
「先生の前にはこうして兜《かぶと》を脱いでいるんでございます、とても腕ずくで先生に勝つことができませんから、それでツイいたずらがしてみたくなるんでございます、そのいたずらがやり損なった時は、立派に斬られて死にましょう、まだ板にかけねえんでございますから、もう少しどうか御辛抱なすって下さいまし」
竜之助は膝まで引いて来た刀。いつもこの辺まで来れば大抵は人を斬っているのです。がんりき[#「がんりき」に傍点]は、前よりもまた少し後ずさり気味で、
「先生」
竜之助の横面《よこがお》をじっと見込んで、
「どうも、先生の形が気味が悪くっていけませんな、いつその長いのがヒヤリと飛んで来て、わっしの身体《からだ》が二つになるんだか見当がつきませんからな。どうか刀をお置きなすって下さいまし、そうでなければ近いところでお話をすることができませんから――そのいたずらというのはでございますな、先生」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、やや遠くから用心をしいしい、それでも人を食ったような物の言いぶりで、
「先生――折入ってひとつ先生にお願い申してえことがあるんでございます、それはほかでもございませんが、あの年増の御新造、お絹様とやらおっしゃいましたな、あの御新造をがんりき[#「がんりき」に傍点]がいただきてえんでございます」
「ナニ?」
「お恥かしい話だが、先生が、あんな御新造に侍《かしず》かれて道行《みちゆき》をなさるのを見ると、疳《かん》の虫がうずうずしてたまりませんや。もとより金銀に望みはねえ、腕ずくでは敵《かな》わねえから、ここは一番、色気を出し、先生とあの御新造を張り合ってみてえというのが、このがんりき[#「がんりき」に傍点]のやまなんでございます。なんと、どうでございましょう、きれいにあの御新造《ごしんぞ》をがんりき[#「がんりき」に傍点]にくれてやっておくんなさるか、それとも、女にかけてはどっちの腕が強いか、思うさま張り合ってみようではございませんか」
これを聞いて竜之助は、
「あの女が欲しいのか」
竜之助は刀を差置きながら、
「女というものは水物《みずもの》だから、欲しければ取るがよかろう。しかしあの女は、感心に拙者を江戸まで送ってくれようという女だから、向うで捨てぬ限りは、こちらでも捨てられぬ。それはそうと、もはやここへ尋ねて来るはずではないか」
「ええ、もうやがて尋ねておいでなさるはずでございます、迎えの者を村はずれまで出しておきましてございますから」
「そうか、それからながんりき[#「がんりき」に傍点]、あの女が来たらば……」
竜之助は、まだ刀を膝から下へは卸《おろ》しきらないで、言葉が少しく改まる。
「へえ、何でございますか」
がんりき[#「がんりき」に傍点]はやはり用心をしながら返事。
「幸いのこと、お前に頼みがある」
「頼みとおっしゃいますのは」
「お前に望みがあるならば幸いのこと、これからあの女を連れて江戸まで下ってもらいたいのじゃ」
「何とおっしゃいます、わっしにあの御新造様をお江戸までお連れ申せとおっしゃるのでございますか。そうしてあなた様は?」
「拙者は、ひとりで行きたい方へ行く」
「こりゃ驚きました、そういうことはできません、そんな不人情なことはできませんな」
「不人情?」
竜之助は苦笑《にがわら》いしながら、
「お前は、あの女が欲しいと言うたではないか、それだによってあの女を連れて江戸へ行くことがなんで不人情だ」
「だって先生、先生はお目が御不自由なんでございましょう、それを見捨てて、二人で駈落《かけおち》をするなんぞということは、このがんりき[#「がんりき」に傍点]にはできませんな」
逃げ腰になっていたがんりき[#「がんりき」に傍点]が、腰を落着けて言葉に力を入れる。
「いや、拙者は拙者で別にまた道がある、実はふとした縁であの女の世話になったが、心苦しいことがある、それで離れようと思うていたが、ちょうど幸い、お前が横合いから欲しいというによって、お前に任せたい」
「そりゃいけません」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は首を左右に振り、
「それじゃあ事に面白味がありません、からっきり張合いにもなんにもなるもんじゃあございません、人のお余り物をいただくような心で、女をもの[#「もの」に傍点]にしてみようというような、そんながんりき[#「がんりき」に傍点]とはがんりき[#「がんりき」に傍点]が違います」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は力《りき》み返る。竜之助は苦笑《にがわら》い。この小賢《こざか》しい小泥棒め、おれに張り合ってみようというのでさえ片腹痛いのに、死んだ肉は食わないというような一ぱしの口吻《くちぶり》。刀の錆《さび》にするにも足らない奴だがよい折柄《おりから》の端役《はやく》、こいつに女のいきさつをすっかり任せてしまえば、女の絆《ほだし》から解かれることができる。竜之助はこうも思っているらしい。
がんりき[#「がんりき」に傍点]はそれと知るや知らずや、
「女というものは、上手に拵《こしら》えるよりも上手に捨てるのが本当の色師だ、いい幸いでお譲りを受けて、持余《もてあま》し物《もの》をおっつけられて、それで色男で候《そうろう》と脂下《やにさが》っているには、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、こう見えても少し年をとり過ぎた、そんな役廻りは御免を蒙《こうむ》りてえ」
少しく声高《こわだか》になって、ふいと気がついたように、
「やれやれ、根っから詰らねえ痴話《ちわ》でたあいもねえ、それは冗談でございますが先生、こんなことも他生《たしょう》の縁とやらでございましょうから、これからわっしどもも先生と御新造のお伴《とも》をして、江戸まで参りましょう、道中ずいぶん忠義を尽しますぜ」
この時、破《こわ》れた扉がガタリという。
扉がガタガタと動いたかと思うと、そこへ身を現わしたのはお絹でありました。
「やあ、これは御新造様」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は迎えに出る。
「どうもた
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