お君は躍起《やっき》になって米友の槍先を遮《さえぎ》りながら、その相手になっている若い侍の面を見てまた驚き、
「まあ、これは宇津木兵馬様……どうしたことか存じませぬが、どうぞ御勘弁下さいまし、この人は気が早くて口が悪い人ですけれども、決して悪い人ではありません、わたしの友達でございますから、どうぞ堪忍《かんにん》してあげて下さいまし」
宇津木兵馬は船の中でお君がよく知合いの人でありました。お君は米友に代って謝罪《あやま》ってしまいました。
宇津木兵馬は、ここでお君に返答を与える隙もなく、抜いた太刀は鞘《さや》へ納める余裕もなく、その場を飛んで出でました。
兵馬が走《は》せ出すと、群集は兵馬のために道を開いて通しました。
あとに残ったのが米友とお君。
「米友さん、お前、どうしてまあ、こんなところに来ていたの」
「それよりか君ちゃん、お前がまたどうしてこんなところへ来たんだい」
「それにはずいぶん永い話があるんだから、どこかでゆっくり話しましょうよ」
「ここで話そう、この松の木の下がいいや」
羽衣松《はごろもまつ》の下。米友は槍を提《さ》げたなり歩いて行って坐る。お君は置放しにした三味線を取って来て坐る。ムクはその前に両足を揃えて蹲《しゃが》む。
「友さん、あれからどうしたの」
「どうしたのって、お前」
米友は何から話してよいかわからないように、目をクルクルさせて、
「ずいぶん俺《おい》らもひどい目にあったよ」
「わたしもずいぶん心配しちまった」
「それ、あの晩、お前を大湊の船大工の与兵衛さんのところへ送り届けてよ、それから俺らは一人でムクの様子を見に山田の方へ行ったろう、そうすると、町の入口で直ぐにお役人の網にひっかかっちまったんだ、それからお役人が八方から出て来て俺らを追蒐《おっか》けやがったんだよ、よそへ逃げりゃよかったんだが、それ、君ちゃん、お前の方が心配になるだろう、それだもんだから俺らは大湊へ逃げたんだね、そうすると山田奉行の方からも人が出て両方から取捲いてしまったんだよ、けれども俺らはそこんところをひょいひょいと飛び抜けて、与兵衛さんの家の裏口へ行って船倉《ふなぐら》の方へ廻って、それから歌をうたってみたんだよ、もし君ちゃんにその声が聞えるかと思ってね」
「ああ、よく聞えたよ、十七|姫御《ひめご》が旅に立つというお前のおハコの歌だろう、海の方からよく聞えたけれども、わたしはどうしてもあのとき出て行けなかったのだよ」
「出て来ない方がよかったよ、出て来れば捉《つか》まっちまうんだからね。そうするとね、もうその時はお役人に追い詰められていたんだから、仕方がないから俺《おい》らは海へ飛び込んじゃった、海へ飛びこんでね、時々頭をぽかりぽかりと出して様子を見ながら泳いでいたんだよ。そうするとね、伝馬船に乗せられてお前がやって来るじゃないか。こりゃよかった、与兵衛さんがお前を舟で逃がしてくれたのだと思ったから、俺らはうれしまぎれにその舟へ飛び上って、君ちゃんと言って抱きついたら、それが大違い」
「ああ、それでわかった、その人はわたしじゃなかったけれど、わたしがいま姉妹のようにしているお松さんという人なのよ」
「そうか、なんしろ暗いところで、年頃の似た娘が一人乗っていたんだから、嬉しまぎれにお前だとばかり思っちゃった」
「それをね、お松さんと船頭さんがね、大船へ帰って来て一つ話にしているのですよ、舟で河童《かっぱ》に出会《であ》ったって」
「河童じゃねえ、俺《おい》らなんだよ」
「でも舟では今でも河童にしてしまっているよ」
「ナニ、河童じゃねえ、俺《おい》らだ」
「それでわかった」
「人違いだったから俺らも吃驚《びっくり》する、乗手の方でも腹を立って、櫂《かい》でぶん撲《なぐ》ろうとするから、俺らはまた海へ飛び込んで、時々頭をぽかりぽかりと出して、もしもどこかの舟にお前がいるかと思って、様子を見ながら岸の方へ泳いで行ったんだよ」
夕陽《ゆうひ》はようやく沈みかかるのに、二人は話に夢中になってしまって、今のさき、槍を振りひらめかしたことも米友は忘れてしまって、例の眼をクルクルさせながら、怪しげな手つきの仕方話《しかたばなし》。
「岸へ泳ぎ着いたところを、その近所の舟小屋に隠れていたお役人が御用と来たもんだ、俺らも二三人投げ飛ばしてやったけれど、竿を持たねえと思うように働きができねえで、それでとうとう捕まって縄をかけられてしまったんだ、口惜しいと思ったよ」
「さぞ口惜しかったろうね」
「それでお役所へ連れて行かれて、さあ白状しろ白状しろって、ギュウギュウ苛《いじ》められ通しなんだ。だってお前、白状しろたって、盗みもしねえものは白状もできめえじゃねえか」
「ずいぶんひどいねえ」
「口惜しいから口を利いてやらなかった、そうするとね、証拠があるから是非に及ばねえと、役人の方で勝手にきめてしまったんだよ。証拠というのは、お前のところにあったあの印籠《いんろう》と、それから二十両のお金さ」
「あの印籠とお金が、どうしてまあそんなに祟《たた》るんだろう」
「俺《おい》らが口惜しいから口を利かねえでいるとお役人が、その二品を俺らの前へ突きつけて、さあこれを見たら文句はあるめえと言って、俺らを死罪に行うときめてしまったんだ。死罪というのは、お前、俺らを殺してしまうことなんだよ」
「まあ、お前が打首《うちくび》になることにきまったのかい」
「ところがね、大神宮様の御領内はね、それ守護不入《しゅごふにゅう》といって、世間並みの土地とは違うんだ。死罪にしてもね、首を斬ったり磔刑《はりつけ》にしたりして、血を見せることはできねえ規則なんだ、不浄を見せては神様へ恐れ多いというんで、死罪の仕方が変ってるんだよ。それで俺らは、隠《かくれ》ヶ岡《おか》の上から地獄谷へ突き落されることにきまったんだ」
「隠ヶ岡から? あそこからお前、地獄谷へ突き落されてはたまるまい」
「昔はみんなそうして死罪に行なったものなんだよ、それが久しく絶えていたのを、俺らがそれでやられることになったんだ」
「危ないことだねえ、それをどうしてお前、助かったの」
「助からなかったんだ、俺らも突き落されて一ぺんは死んじまったのだよ」
「突き落されたの?」
「ああ、身体中へ縄をかけられてね、それで突き落されて死んじまったんだ、一旦は死んじまったんだけれど、与兵衛さんがその晩、そーっと死骸《しがい》を拾いに来てくれたんだよ」
「与兵衛さんが?」
「与兵衛さんは、せめて死骸でも拾って、仮葬《かりとむら》いでもしてやろうという御親切なんだね。それで俺らの死骸を担《かつ》いで来ると、その途中にお医者様が寝ていたんだよ」
「お医者様が寝ているというのはおかしいじゃないか」
「よっぽどおかしいよ、酔っ払って堤《どて》の上に寝ていたんだがね、そのお医者様を与兵衛さんと俺らと二人で踏みつけてしまったんだよ、暗いもんだからね」
「乱暴なことをしてしまったね」
「ところが、それでもってお医者様が眼をさまして、二人を見てね、病人ならここへ出せ、十八文で診《み》てやるなんて、おかしなことを言ったんだそうだよ。なんしろ仮りにもお医者さんだから、与兵衛さんがそこで俺らを診てもらったんだね、ところがそのお医者さんが、大変な名人でね、死んだ俺らを生かしちゃったんだよ」
「まあ、よかったねえ」
「そしてお前、与兵衛さんのところまで毎日のように療治に来てくれたんだ、それで俺らはこの通り丈夫になってしまった」
「ずいぶん感心なお医者さんだね」
「そりゃお前、感心にもなんにも」
米友はまた眼をクリクリさせながら、
「それからお前、与兵衛さんに聞いてみるとね、お前は大丈夫、親船へ頼んだからというわけなんだろう、それでまあ、ひとまずお前の方は安心して、俺らも身体が丈夫になってみると、それでは一番お江戸へ出てやろう、今いうお世話になったお医者様が江戸にいるのだから、それを頼ってお江戸へ行くことにきめて、こうして出て来たんだよ」
「まあ、それでも、よかったねえ、わたしもあれから舟で東の方へ出たのですけれど、途中で舟に酔わされてしまって……」
お君は、それから後の物語をする。米友は眼を円くしたり面《かお》をしかめたり、拳《こぶし》を握ったりしてそれを聞いていたが、
「やっぱり俺《おい》らたちが悪いことをしねえから、天道様《てんとうさま》が見通しておいでなさるんだ」
米友は胸を叩いて喜んだが、
「ちょうど、お前が首をくくりかけた時にムクが行って助けたように、俺らも浜松のこっちの方で危ないところを坊さんに助けられて、それから一緒に歩いてるんだ」
「その坊さんというのは?」
「その坊さんというのは、あんまり金持の坊さんじゃあねえのだけれど、不思議なことにその坊さんと一緒に歩いていると、銭を出さなくっても人が大切《だいじ》にしてくれる」
「今その坊さんはどこにいるの」
「今この先の信心者《しんじんもの》の家にいるんだがね」
「そうしてお前、その坊さんの槍持をして歩いて来たのかえ」
「ううん、そうじゃねえ、この槍は俺《おい》らの槍なんだ」
「お前、槍を持って歩いてるのかい」
「そういうわけじゃねえ、府中の宿屋でこの槍を捻《ひね》くっているとね、亭主が来て見て、お前さん槍が使えるのかいと言うから、たんとも使えねえが、ちっとばかりは使えると言うとね、それじゃあ使って見せてくれというから、よし来たと言って、ちょうど部屋へ飛んで来た蝶々を一羽、突いて見せてやった」
「蝶々を突いたのかい」
「そこの亭主がね、俺らが蝶々を突き落すと、それを見てすっかり感心しちまったんだ、それで、お前さんにこの槍を上げましょうというから、それじゃ貰って行くといって、こうして担《かつ》いで来たんだ」
「えらいねえ友さん、お前は槍一筋で東海道が歩ける身分になったんだねえ」
「冷かしちゃいけねえ。そうすると、ここでもってこの槍が役に立って、あの悪い侍をおどかしてやった」
「何かあのお方が悪いことをしたの」
「悪いことと言ったって、お前、品の好い切下げ髪の奥様を捉まえてね、あの若いくせに狼藉《ろうぜき》をしようというんだから呆《あき》れ返《けえ》っちゃった」
「お待ちよ、あのお方がそんなことを……そんなばかなことをするお方ではありませんよ、何かお前、勘違いをしたんだろう」
「ナニ、そうでねえ、見ていられねえから俺らが飛び出したんだ、ところがあいつは、いつか古市の町で、俺らの竿を叩き落した奴なんだ、その時の覚えがあるからね、今日は仕返しのつもりで、ギュウと言わせてやろうと思ってるところへお前が飛び出したんだ」
「お前は勘違いをしているよ、あのお方は決して、女をつかまえて無礼なことをなさるようなお方ではありませんよ、何かそこには間違いがあるのだろう」
「俺らもおかしいとは思うが」
「その切下げ髪の奥様というのはどこへ行ったの」
「それはどこへ行ったか」
米友が四辺《あたり》を見廻す時、四辺はようやく黄昏《たそが》れる。
「やあ、日が暮れるといけねえ、歩き出そう、歩き話とやらかそう」
米友は黄昏の色を見て、槍を取りながら立ち上る。お君もまた三味線を取って立ち上る。ムクもまた起き上って腰を伸ばす。
「おや、友さん、怪我をしたの、足をどうかしたの」
「足? これか、これは跛足《びっこ》だ、ハハハ」
米友は、笑いながら腰のあたりを撫《な》でて、
「隠ヶ岡から突き落された時、ほかの方はもとの通りになったけれど、右の足の骨だけが折れてしまったから、それでこの通り跛足を引いて歩くようになった、なあに、痛くもなんともねえ、慣れてしまったから歩くのも楽なものさ、もとは撞木杖《しゅもくづえ》を突いて歩いていたんだが、この槍を貰ってから、撞木杖をよしてこれを突いて調子を取って歩くと、並みの人よりは早く歩けるくれえだ」
と言いながら米友は、松の木の下を離れて、そこらを探し廻り、裂けて落ち散っていた槍の鞘《さや》を拾って、これを穂の上へかぶせ、紙撚《こより》をこしらえて裂目《さけ
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