しょうかな」
 二人はとろろ汁を食べて、草鞋を穿き換えて、いざ、とこの茶店を出立しました。
「ずいぶんお達者な足でございますな」
「お前さんもかなり達者なことですね」
「どちらからおいでなさいました」
「俺《わし》は甲州からやって参りました」
「今晩はどちらへお泊りで」
「いえ、その、まだ……」
「浜松あたりはいかがで」
「なるほど、浜松までエエと」
「浜松まで、これからざっと二十里でございますな」
「二十里、なるほど」
「大井川と天竜川の渡し、こいつが、ちっと手間が取れましょう」
「なるほど」
「なあに、手間が取れたら、徒《かち》でやっつけるんですな、雲助が追っかけたら逃げる分のことで」
 旅には慣れきったような男であります。七兵衛は、こいつ人を呑んでかかっていると思ったから、
「時に、お前さんは何御商売ですね」
「ハハハハ」
 銀ごしらえの男は、ワザとらしい高笑いをして、
「まず、お前さんと同商売かね」
「なに、俺と同商売?」
「ハハハハハ、まあ急ぎましょう」
 ハハハと笑って口をあいて見せた歯並《はなみ》が、ばかに細かくて白い。歳《とし》は、そうさ、七兵衛よりも十歳《とお》も若いか、笠を取って見たら、もっとずっと若いかも知れない。
 いよいよ変な奴と七兵衛は思いました。
 こうして二人は、鞠子《まりこ》の本宿《ほんじゅく》から二軒家《にけんや》、立場《たてば》へは休まずに宇都谷峠《うつのやとうげ》の上りにかかりました。

「旦那、ここらで一ぷくやって参りましょうかね」
 銀ごしらえの脇差が腰をかけたのは名代の猫石、木ぶりの面白い松があたりに七八本。
「どうも大変なところへ連れ込まれた」
 七兵衛もまた大きな石へ腰をかける。
「これが古《いにし》えの蔦《つた》の細道《ほそみち》、この石が猫石で、それ猫の形をしていましょう、あれが神社平《じんじゃだいら》」
「なるほど、本街道はたびたび通るが、蔦の細道というのはこれが初めてだ」
「時に親方」
 銀ごしらえは改まった言葉つき、旦那と呼んでいたのが親方になりました。
「何だ」
「仕事が一つあるんだが、付合ってもらいてえ」
「仕事? 品によりゃ付合わねえもんでもねえ、言ってみねえ」
 銀ごしらえの眼と七兵衛の眼がピッタリ合う。
「こういうわけなんだ」
 銀ごしらえは、吸いかけた煙草を掌《てのひら》ではたいて、それを筒《つつ》に納めながら、
「小天竜《こてんりゅう》を渡るとそれ、中の町というのがある」
「うむ」
「京と江戸とのちょうどあそこが真中で、ドチラへも六十里というところよ」
「そんなことも聞いている」
「その小天竜と中の町の間に大きな寺があらあ」
「なるほど」
「天竜寺という名前だけは知っていらあ、宗旨《しゅうし》は何だか知らねえ」
「それがどうしたんだ」
「その寺へ今夜仕事に入りてえと、こういうわけなんだ」
「ケチな仕事じゃあねえか、寺を荒すくれえなら……」
「まあ待てよ、そこにはまた種《たね》と仕掛《しかけ》があるんだ。その天竜寺という寺へよ、この三日ばかり前から遊行上人《ゆぎょうしょうにん》が来ているんだ」
「ゆぎょう上人ていのは何だい」
「藤沢の遊行上人よ」
「なるほど」
「そいつをひとつおどかしてみてえと、こういうわけなんだ」
「遊行上人をかい。お前、遊行上人というのは大したものじゃねえか、小栗判官《おぐりはんがん》のカラクリで俺もうすうす知っている。しかし、どっちにしたところで坊さんは坊さんだ、逆さに振ってみたところで知れたものじゃねえか」
「それはそうよ、なにもこちとらが遊行上人を逆さに振ってみようとは言わねえ、その上人をめあてに集まる近国の有象無象《うぞうむぞう》ども、そこに一つの仕組みがあるんだ、上人は上人でお十念《じゅうねん》を授けている間に、こちとらはこちとらで自分の宗旨を弘める分のことよ」
「なるほど」
「まあ、来てみねえ、仕事がいやならいやでいい、おたがいに足並みはわかったから、これからお手並み拝見というところだ。俺《おい》らのお手並みが見てもれえてえから、それでわざわざお前さんに毒を吹っかけたのだ。さあ、日のあるうちに浜松泊り、それからゆっくり天竜へ逆戻りをして一仕事」

 七兵衛は承知をしたともしないとも言わずに、直ぐまた変な男に連立って、蔦《つた》の細道を下って湯谷口から本街道へ出て西を指して急ぐ。変な男に名を聞くと、「がんりき」と呼んでもらいたいと言う。二人はあまり口を利《き》かずに急いだが、金谷坂《かなやざか》あたりでがんりき[#「がんりき」に傍点]が、
「鼠小僧という奴は面白い奴よ、姫路の殿様の近所にやっぱり大きな殿様のお邸があって、そこでお能舞台が始まっている時のことだ、殿様がこっちから見ていると、舞台の真中に、年のころ十八九ばかりで月代《さかやき》の長く生えた男が伊達模様《だてもよう》の単衣物《ひとえもの》を着て、脇差を一本差して立っているのを殿様が見咎《みとが》めて、あれは何者だ、ついに見かけない奴、不届きな奴、追い出せとお沙汰がある、家来たちが見ると、お能役者のほかに人はいない、殿様はなお頻《しき》りに逐《お》い出せ逐い出せとおっしゃる、仕方がないから舞台へ上って追う真似をしてみたがなんにもいやしない、そのうちに舞台の上を見ると紙片《かみきれ》が落ちている、拾って見るとそれに『鼠小僧御能拝見』と書いてあった、殿様の眼にだけはその姿がちらついたんだが、ほかの者には誰も見えなかった。悪戯《いたずら》をしたものよ」
 こんなことを話し出しているうちに、金谷《かなや》から新坂《しんざか》へ二里、新坂から掛川《かけがわ》へ一里二十九町、掛川から袋井《ふくろい》へ二里十六町。
 そこでまたがんりき[#「がんりき」に傍点]が、
「松平周防守《まつだいらすおうのかみ》というのは大阪のお奉行様であったかな、その周防守のお邸が江戸にあって残っているのは女ばかり、そこへ附け込んだ鼠小僧、女ばかりのところを二度荒したってね。一ぺんは、長局《ながつぼね》の部屋という部屋の障子へ一寸ぐらいずつの穴があけてあった、そこからいちいち覗いて見たもんだね。一人の女中の部屋では鼈甲《べっこう》の笄《こうがい》や簪《かんざし》をみんな取り出して綺麗に並べて置いて、銀簪なんぞは折り曲げて並べて行ったとね。周防守のお妾さんの部屋では箪笥《たんす》から紫縮緬《むらさきちりめん》の小袖を取り出して、それを局境《つぼねざかい》の塀の返しへ持って行って押拡《おっぴろ》げて張っておいたそうだが、それで金銀は一つも盗られなかったとやら。いや、何を取られたか知れたものじゃない、ハハハハ」
 白い細かい歯並を見せて笑う。七兵衛をして、こいつがその鼠小僧ではあるまいかと思わせるくらいに、ちょっと凄味《すごみ》の利く代物《しろもの》。
 袋井から見附《みつけ》へ四里四町、見附から池田の宿、大天竜、小天竜の舟渡《ふなわたし》も予定通り日の中に渡って中の町。
「あれが天竜寺」
 横目に睨んで浜松の町へ入る。
「いよいよ浜松だ、日本左衛門《にっぽんざえもん》で売れたところよ。日本左衛門という奴は、また鼠小僧とは貫禄《かんろく》が違う、あの大将は手下に働かせて自分は働かず、床几《しょうぎ》に腰をかけて指図《さしず》をしていたもんだ。平常《ふだん》、黒羽二重の紋付を着て、雑色《ぞうしき》は身に着けなかったという気象だ。鼠小僧はこちとらに毛の生えた質《たち》の奴で、子分を持たずに一人で鼠のように駈け廻った男だが、日本左衛門は虎になりそこなった大物《おおもの》だ、乱世ならば一国一城の大名になり兼ねねえ奴だ」
 こんなことを言いながら浜松の町を真直ぐに通って、
「広いようで狭いというのがこの土地だが、それでも町の長さは二十八丁あって、家数《やかず》は三千からある。さあ、ここらで泊るとやらかそう」
 てんま町へ来て大米屋《おおごめや》一郎右衛門とある宿屋へ着く。
 牛に曳《ひ》かれて浜松まで来た七兵衛。さて数えてみれば、薩※[#「土へん+垂」、第3水準1−15−51]峠の前を別にして、あれからでも約三十里の道。

 湯から上った七兵衛、
「がんりき[#「がんりき」に傍点]さん、天竜寺の一件はどうしたい」
 腰を落着けて飲んでいたがんりき[#「がんりき」に傍点]、
「今夜は駄目駄目、明日のことだ」
 七兵衛も坐り込んで二人飲みながらの話。どこの部屋に、どんなのがいて、あれは景気は好さそうだがその実|懐中《ふところ》に金はあるまいとか、こちらの方に燻《くす》ぶっている商人|体《てい》の一人者は、あれでなかなか持っていそうだとか、あの夫婦者は実は駈落者《かけおちもの》だろうとか、この宿屋の客の値踏《ねぶ》みをがんりき[#「がんりき」に傍点]と七兵衛がする、どちらも商売柄、その見るところがたんとは違わない。最後にがんりき[#「がんりき」に傍点]が、
「そのなかで、俺の眼の届かねえのがたった一つあるが、お前はどう思う」
「うむ、二階の二番のあれだろう」
 七兵衛の返事、おたがいの合点《がってん》。
「どうもあいつはわからねえ」
「俺にもわからねえ」
「よし、もう一ぺん確めて来る」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は便所へ行くようなふりをして、いま噂《うわさ》に上った二階の二番の前をなにげなく通って前後を見廻してから、そーっと障子の傍へ立寄ると、持っていた太い針のようなものを嘗《な》めて些《ささ》やかな穴を障子の隅へあけて、部屋の中を覗《のぞ》きます。
 十畳の間、真中に紙張《しちょう》が吊ってあって、紙張の傍に朱漆《しゅうるし》、井桁《いげた》の紋をつけた葛籠《つづら》が一つ、その向うに行燈《あんどん》が置いてある。
 やがてまたもとの部屋へ立戻ったがんりき[#「がんりき」に傍点]。七兵衛が待っている。
「どうだ、当りがついたか」
「駄目だ、やっぱりわからねえ、紙張の中に人がいるのかいねえのか、その見当もむずかしい」
「そりゃいる、人はいるにはいるがな」
「さあ、その人が男か女か、若い奴かまた老人か、それがわかるか」
「そりゃ男だ」
「男なら幾歳《いくつ》ぐらいで、侍か町人か、または百姓か職人か」
「そりゃ侍よ」
「はてな、それではあの葛籠《つづら》を何と了簡《りょうけん》した、井桁の朱漆の葛籠よ」
「あの中か、ありゃあ女物よ、あの中には女物が入っている」
「えらい! よく届いた。葛籠の中には女物で金目《かねめ》の物が入ってる、そうしてみると、いよいよわからなくなる」
「それを今、俺も考えているところだ、紙張の中に武士がいて、紙張の外には女物の葛籠ということになると、この判じ物がむずかしい」
「第一、わざわざ紙張を吊らせて寝るということからがおかしいけれど、あの寝様《ねざま》を見るがいい、ああして壁へも障子へも寄らず真中へ寝たところが心得のある証拠だ、ただものでは無《ね》え」
「どうだ一番、あの紙張の中と、葛籠の中、鬼が出るか蛇《じゃ》が出るか、俺とお前の初《はつ》のお目見得《めみえ》にはいい腕比べだ、天竜寺の前芸《まえげい》にひとつこなしてみようじゃねえか」
「そいつもよかろう」
「それでは籤《くじ》だ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は早速、紙で籤をこしらえる。七兵衛が短いのを引いて、がんりき[#「がんりき」に傍点]が長いのを引く。それでがんりき[#「がんりき」に傍点]がニッと笑って、
「兄貴、それじゃお先へ御免を蒙《こうむ》るよ」
「しっかりやってくれ」
「まだ早いな」
 また一口飲んで、蒲団《ふとん》を敷いてもらって、二人は寝込んで夜の更《ふ》けるのを待っています。

 がんりき[#「がんりき」に傍点]が夜更けて再び忍んで行った時に、かの部屋の燈火《あかり》は消えていました。障子の外で暫らく動静《ようす》を窺《うかが》っていたがんりき[#「がんりき」に傍点]。暫らくすると音もなく障子があいて、がんりき[#「がんりき」に傍点]は部屋の中へ入ってしまいます。
 身を畳の上に平蜘蛛《ひらぐも》の
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