烟《けむり》を上げているところもありません。暁とは言いながら、星をたよる闇夜《やみよ》と同じことで、お君はそこを一生懸命で、順路はここから北へ国安川《くにやすがわ》というのに沿うて行き、掛川《かけがわ》の宿へ出て、東海道本道に合するということを聞いていましたから、その心持で北を指して出かけました。
 無分別《むふんべつ》で出て来たお君。生れ土地から尾上山《おべやま》の外へ出たことのないお君。東の空に光る宵の明星をめあてに、只管《ひたすら》に二里ばかり歩きつづけましたが、そこで一筋の広い道が東から来て筋違《すじか》いになるところの庚申塔《こうしんとう》の前に立って、行先に迷うていました。めざして行く掛川はどの辺で、出て来た三浜の漁村はどこであったか、それさえ見当がつきません。
 掛川へ出て、清水港へ行くつもり。旅芸人の中に入ってなりとも、その目的を果すにさして困難はあるまいと思っていたが、どうして、僅かに浜からここまで来てさえこの足、もう右へ行ってよいのか左へ行ってよいのかわからなくなってしまったものを、二十里三十里の清水港までどうしてこれで旅がし通せよう。お君は自分の足が覚束《おぼつか
前へ 次へ
全117ページ中68ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング