「誰が?」
「浜松の大米屋でお前さんを覘《ねら》ったという奴」
「うむ、あれか」
「あれがまたこの宿へ入り込みましたよ、執念深《しゅうねんぶか》いやつらったら」
「放《ほう》っておけ、今夜来たらば……」
 竜之助がグッと一口飲む、燈《ともしび》の光で青白い面《かお》が熱《ほて》る、今夜来たらば……叩き切ってしまうというものと見えます。
「まあ、およしなさい、道中は無事に限りますから、またひとつ裏を掻《か》いて、出し抜いてやりましょう」
 お絹は竜之助の面を見て笑う。こうして見れば、二人は夫婦気取りで旅をしているようです。
 お絹が竜之助をたよるのか、竜之助がお絹をたよるのか。お絹は浜松へ引込んでしまおうかと思ったのを、ふと、竜之助が来たので、また一緒に江戸へ出ることになったらしい。竜之助もまたお絹によって、難儀なるべき道中をともかくも心安く江戸へ下ることができるというものらしい。

 机竜之助のいたところと、遊行上人の泊っていた一間とは襖《ふすま》一重の隔たりでありました。
 眠れないでいた竜之助には、その夜更けて、不夜《ふや》の念仏をしていた上人の許《もと》へ忍び寄った二人の盗賊
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