紫の幕が張ってある本陣へ案内するのでありました。
それがために米友の旅は非常に楽なものでした。一文も自腹《じばら》を切らずに、到るところ大切《だいじ》にされて通ります。
駿河《するが》の府中まで来ると遊行上人の一行は、世の常の托鉢僧《たくはつそう》のような具合にして、伝馬町の万屋《よろずや》というのへ草鞋《わらじ》を脱いでしまいます。
今宵《こよい》は紫の幕もなければ領主からの待遇も避けて、ただあたりまえの旅客として泊り合っただけです。
風呂にも入り、夕飯も済んで、挟箱担《はさみばこかつ》ぎはどこへか用足しに行ってしまい、米友はまだ寝るには早いから坐っていると、長押《なげし》に槍がかけてあります。
「槍、ヘヘン、槍がありやがる」
米友は槍を見てニコニコ笑い。
「久しぶりだから、ひとつ使ってみてやろうかな」
部屋の隅にあった碁盤と将棋盤を持って来て、それでやっと取り下ろしたのが九尺柄の素槍《すやり》。
ちょうどこの日に、机竜之助もまたこの宿に泊っていたのであります。
竜之助がひとりで酒を飲んでいるところへ、お絹が風呂から上って来ました。
「またいやな奴がついて来ましたよ
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