い、虚無僧《こむそう》」
 横柄《おうへい》な声で呼びかけた武士。振返ったところは五社明神の社前。
「おい、虚無僧、こっちへ入れ」
 社前の広場に多くの武士が群っている。その中から、いま通りかかる机竜之助を呼び止めたものです。
「何か御用でござるかな」
 竜之助は立ち止まって返事。
「ここへ来て一つ吹いてくれ」
「せっかくながらお気に召すようなものが吹け申すまい」
 竜之助は五社明神の鳥居の中へ入って行きました。
 見るとここで武術の催しがあったもの。それが済んで、庭の広場で武士たちが大勢、莚《むしろ》を敷いて茶を飲んでいたところでした。
「さあ、そこでまずその方の得意なものを吹いて聞かせろ」
「別に得意というてもござらぬが、覚えた伝来の一曲を」
 竜之助は、吹口をしめして「鶴の巣籠《すごもり》」を吹きました。誰も吹く一曲、竜之助のが大してうまいというのでもありません。
「それは鶴の巣籠、何かほかに」
「ほかには何も知らぬ」
「ナニー」
「ほかに虚鈴《きょれい》というのがあるが、これは、おのおの方にはわかるまい」
「何を!」
「いや、駆出《かけだ》しの虚無僧で、そのほかには何も吹け申さ
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