分は働かず、床几《しょうぎ》に腰をかけて指図《さしず》をしていたもんだ。平常《ふだん》、黒羽二重の紋付を着て、雑色《ぞうしき》は身に着けなかったという気象だ。鼠小僧はこちとらに毛の生えた質《たち》の奴で、子分を持たずに一人で鼠のように駈け廻った男だが、日本左衛門は虎になりそこなった大物《おおもの》だ、乱世ならば一国一城の大名になり兼ねねえ奴だ」
 こんなことを言いながら浜松の町を真直ぐに通って、
「広いようで狭いというのがこの土地だが、それでも町の長さは二十八丁あって、家数《やかず》は三千からある。さあ、ここらで泊るとやらかそう」
 てんま町へ来て大米屋《おおごめや》一郎右衛門とある宿屋へ着く。
 牛に曳《ひ》かれて浜松まで来た七兵衛。さて数えてみれば、薩※[#「土へん+垂」、第3水準1−15−51]峠の前を別にして、あれからでも約三十里の道。

 湯から上った七兵衛、
「がんりき[#「がんりき」に傍点]さん、天竜寺の一件はどうしたい」
 腰を落着けて飲んでいたがんりき[#「がんりき」に傍点]、
「今夜は駄目駄目、明日のことだ」
 七兵衛も坐り込んで二人飲みながらの話。どこの部屋に、ど
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