代《さかやき》の長く生えた男が伊達模様《だてもよう》の単衣物《ひとえもの》を着て、脇差を一本差して立っているのを殿様が見咎《みとが》めて、あれは何者だ、ついに見かけない奴、不届きな奴、追い出せとお沙汰がある、家来たちが見ると、お能役者のほかに人はいない、殿様はなお頻《しき》りに逐《お》い出せ逐い出せとおっしゃる、仕方がないから舞台へ上って追う真似をしてみたがなんにもいやしない、そのうちに舞台の上を見ると紙片《かみきれ》が落ちている、拾って見るとそれに『鼠小僧御能拝見』と書いてあった、殿様の眼にだけはその姿がちらついたんだが、ほかの者には誰も見えなかった。悪戯《いたずら》をしたものよ」
 こんなことを話し出しているうちに、金谷《かなや》から新坂《しんざか》へ二里、新坂から掛川《かけがわ》へ一里二十九町、掛川から袋井《ふくろい》へ二里十六町。
 そこでまたがんりき[#「がんりき」に傍点]が、
「松平周防守《まつだいらすおうのかみ》というのは大阪のお奉行様であったかな、その周防守のお邸が江戸にあって残っているのは女ばかり、そこへ附け込んだ鼠小僧、女ばかりのところを二度荒したってね。一ぺんは、
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