隔てた次の間で、すやすやとお絹の寝息が聞えます。軽い寝息、吐いて吸う軟《やわ》らかな女の寝息、すういすういと竜之助の魂に糸をつけて引いて行くようです。ややあって寝返りの音。
髪の毛が枕紙《まくらがみ》に触《さわ》る。中指《なかざし》が落ちたような、畳に物の音、上になり下になり軟らかい寝息。
「眠れぬ、眠れぬ、由《よし》ないところへ泊った」
竜之助は反側する。にわかに寝息が低くなって、そして聞えなくなる。枕許の水を、手さぐりにしてまた一口飲んでみる。
途絶《とだ》えた寝息がまたすやすやと聞える。
「ああ」
懊悩《おうのう》した竜之助は、太い息を吐いて仰向けに寝返ると、お絹の寝間で軽い咳《せき》がする。
「眼が覚めたのかな」
枕許へ何か掻き寄せるような畳ざわりの音。お絹も、どうやら眼が覚めたらしい。
夜具を掻きのけたかと思われる様子で、やがてキューキューと帯を手繰《たぐ》るような音。竜之助の頭は氷のように透きとおる。
襖が開く、衣《きぬ》ずれの音。
「眠れますか。眠れますまいねえ」
襖の蔭から半身が見える、白羽二重《しろはぶたえ》に紗綾形《しゃあやがた》、下には色めいた着流
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