いますか」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、焚火にうつる竜之助の蒼白い面をジロジロと見て、
「先生の方からは初めてのお声がかりだが、わっしの方ではとうからお近づきなんで」
「どこで会ったかな」
「浜松で、お近づきになったのでございます」
「浜松のどこで」
「へへ、あの大米屋という宿屋でございます」
「ははあ」
竜之助は頷《うなず》いた。
「お心当りがございましょう」
「あるある」
「へへ、どうもその節は飛んだ失礼を致しました」
「二つに斬ってやろうかと思った」
「おっかないこと――しかし先生」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は胡坐《あぐら》を組み直して、
「本当のことを申し上げれば、今までに先生のようなお方に出会ったのは初めてでございます、あの晩こそ兜《かぶと》を脱いでしまいました、出て行けば斬られる、へたに引込めば、やっぱり斬られる、五尺の間を引上げるに夜明けまでかかるなんぞは、今までに例のなかったことでございます」
「それでも感心によく逃げた」
「命からがら引上げて来ましたが、いや今度という今度は失敗《しくじり》つづき、先生のところで失敗《しくじ》って、それから坊さんでまた失敗りました。こうなっちゃ、がんりき[#「がんりき」に傍点]も焼《やき》が廻って、少々心細くなりました」
「あれは遊行上人《ゆぎょうしょうにん》だというではないか」
「左様でございます、遊行上人。先生には斬られ損《ぞこな》い、坊さんには丸められちまい、せっかく磨《みが》いたがんりき[#「がんりき」に傍点]の面《かお》もつぶれそうでございますから、なんとか眼鼻のあくようにしようと思って、執念深くもしょっちゅうあれから、お後をつき通しでございました」
「後を跟《つ》いても跟《つ》き栄《ば》えもすまいな」
「ところがいいあんばいに、こんな風向きになりましたから、ここでまたどうやらがんりき[#「がんりき」に傍点]の目が出そうでございます」
「そうして、お前はどうするつもりで拙者をここまで連れて来た」
「どうするつもり? そうおっしゃられると、ちと御返事に困りますが、あっしどもの仕事は、こうすればこうなるというような算盤《そろばん》でやるんではございません、出たとこ勝負で、いたずらがしてみてえんで」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は皮肉な薄笑いをして竜之助の面を横から見て、
「まず第一には、七兵衛の野郎を出し抜いたのが面白いんでございます、その次には、あの切髪の御新造《ごしんぞ》を烟《けむ》に捲いてやったのが面白いんでございます、それから先生――先生を馬に乗せてこっちの方へお連れ申すと、あとから七兵衛と、それから先生を仇《かたき》だといっている若い侍と、それからもう一人、あの艶《あで》やかな御新造が追蒐《おっか》けて来るにきまっている、そこでまた面白い一仕事があるんでございます」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、自分が筋書《すじがき》を書いて役者に踊らすような気取り。
「がんりき[#「がんりき」に傍点]」
竜之助の声が、少しばかりひやりとする。
「何でございます」
「いたずらも仕様がある、へたなことをすると命がないぞ」
「へへ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、これまた少しばかり退《さが》り気味で、
「そりゃもう承知でございます」
竜之助は左へ置いた刀を引く、斬るつもりでもなく嚇《おど》すつもりでもないらしい。
「先生、まだお斬りなすっちゃいけません」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は片手を出して押えるような真似《まね》をして、
「先生の前にはこうして兜《かぶと》を脱いでいるんでございます、とても腕ずくで先生に勝つことができませんから、それでツイいたずらがしてみたくなるんでございます、そのいたずらがやり損なった時は、立派に斬られて死にましょう、まだ板にかけねえんでございますから、もう少しどうか御辛抱なすって下さいまし」
竜之助は膝まで引いて来た刀。いつもこの辺まで来れば大抵は人を斬っているのです。がんりき[#「がんりき」に傍点]は、前よりもまた少し後ずさり気味で、
「先生」
竜之助の横面《よこがお》をじっと見込んで、
「どうも、先生の形が気味が悪くっていけませんな、いつその長いのがヒヤリと飛んで来て、わっしの身体《からだ》が二つになるんだか見当がつきませんからな。どうか刀をお置きなすって下さいまし、そうでなければ近いところでお話をすることができませんから――そのいたずらというのはでございますな、先生」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、やや遠くから用心をしいしい、それでも人を食ったような物の言いぶりで、
「先生――折入ってひとつ先生にお願い申してえことがあるんでございます、それはほかでもございませんが、あの年増の御新造、
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