、それで、お前さんにこの槍を上げましょうというから、それじゃ貰って行くといって、こうして担《かつ》いで来たんだ」
「えらいねえ友さん、お前は槍一筋で東海道が歩ける身分になったんだねえ」
「冷かしちゃいけねえ。そうすると、ここでもってこの槍が役に立って、あの悪い侍をおどかしてやった」
「何かあのお方が悪いことをしたの」
「悪いことと言ったって、お前、品の好い切下げ髪の奥様を捉まえてね、あの若いくせに狼藉《ろうぜき》をしようというんだから呆《あき》れ返《けえ》っちゃった」
「お待ちよ、あのお方がそんなことを……そんなばかなことをするお方ではありませんよ、何かお前、勘違いをしたんだろう」
「ナニ、そうでねえ、見ていられねえから俺らが飛び出したんだ、ところがあいつは、いつか古市の町で、俺らの竿を叩き落した奴なんだ、その時の覚えがあるからね、今日は仕返しのつもりで、ギュウと言わせてやろうと思ってるところへお前が飛び出したんだ」
「お前は勘違いをしているよ、あのお方は決して、女をつかまえて無礼なことをなさるようなお方ではありませんよ、何かそこには間違いがあるのだろう」
「俺らもおかしいとは思うが」
「その切下げ髪の奥様というのはどこへ行ったの」
「それはどこへ行ったか」
 米友が四辺《あたり》を見廻す時、四辺はようやく黄昏《たそが》れる。
「やあ、日が暮れるといけねえ、歩き出そう、歩き話とやらかそう」
 米友は黄昏の色を見て、槍を取りながら立ち上る。お君もまた三味線を取って立ち上る。ムクもまた起き上って腰を伸ばす。
「おや、友さん、怪我をしたの、足をどうかしたの」
「足? これか、これは跛足《びっこ》だ、ハハハ」
 米友は、笑いながら腰のあたりを撫《な》でて、
「隠ヶ岡から突き落された時、ほかの方はもとの通りになったけれど、右の足の骨だけが折れてしまったから、それでこの通り跛足を引いて歩くようになった、なあに、痛くもなんともねえ、慣れてしまったから歩くのも楽なものさ、もとは撞木杖《しゅもくづえ》を突いて歩いていたんだが、この槍を貰ってから、撞木杖をよしてこれを突いて調子を取って歩くと、並みの人よりは早く歩けるくれえだ」
と言いながら米友は、松の木の下を離れて、そこらを探し廻り、裂けて落ち散っていた槍の鞘《さや》を拾って、これを穂の上へかぶせ、紙撚《こより》をこしらえて裂目《さけめ》を結ぶ。
 米友は竜華寺《りゅうげじ》の方へ足を向けて、
「それにしても、俺《おい》らたち二人を泥棒の罪に落した奴は誰だろう、きっとほかに泥棒があるんだぜ、そいつが盗んで、俺らたちに罪をなすりつけたんだな」
「きっと泥棒がほかにあるんだよ、どんな奴だか知らないけれど憎らしいねえ」
「二人をこんな目に会わせて、故郷を立退かせるようにしたのもそいつの仕業《しわざ》なんだ、早く捜《さが》し出して明《あか》りを立ててみてえものだ」
「ほんとうに早くその悪者を捉まえてやりたい」
「ムクは知っているんだろうよ、備前屋へ入った泥棒をムクは知っているに違いない」
 お君はムクに話しかけるように言ったが、ムクは、やはり黙って歩いていました。
「そうよ、ムクはきっと知っている」

         九

 庵原《いおはら》村の無住同様な法華寺《ほっけでら》。竜之助を乗せた馬の轡《くつわ》を取ったがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、そこへ机竜之助を連れて来ました。
「先生、どうかここんところへお坐りなすって下さいまし」
 竜之助の手を引いて坐らせたのは大きな囲炉裡《いろり》の横座《よこざ》。
 煤《すす》だらけになった自在鍵《じざいかぎ》、仁王様の頭ほどある大薬鑵《おおやかん》、それも念入りに黒くなったのを中にして、竜之助とがんりき[#「がんりき」に傍点]とは炉を囲んで坐りました。
「もう大丈夫でございます、先生、ここまで来れば」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は頻《しき》りに焚火《たきび》をする、その焚火が燈火《あかり》の代用をするのであります。
「今、坊様に頼みましたから、ほどなくお夜食が来るでござんしょう、どうも御覧の通りの荒れ寺でございます……と言って、先生にはおわかりになりますまいが、本堂も庫裡《くり》も山門も納所《なっしょ》もごっちゃなんで。そうしてこの坊主というのが、引導も渡せば穴掘りもやろうというんでございます」
 竜之助は例の通り頭巾《ずきん》を被ったなりで、刀は側《わき》に置いて、焚火に手をかざしています。その様は、がんりき[#「がんりき」に傍点]がなぜ自分を引張って来たかもわからず、どうするつもりだか知らないようでしたが、
「お前さんは、どういうお人だい」
 竜之助はこう言って、はじめてがんりき[#「がんりき」に傍点]に問いかけました。
「わっしでござ
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