するとね、証拠があるから是非に及ばねえと、役人の方で勝手にきめてしまったんだよ。証拠というのは、お前のところにあったあの印籠《いんろう》と、それから二十両のお金さ」
「あの印籠とお金が、どうしてまあそんなに祟《たた》るんだろう」
「俺《おい》らが口惜しいから口を利かねえでいるとお役人が、その二品を俺らの前へ突きつけて、さあこれを見たら文句はあるめえと言って、俺らを死罪に行うときめてしまったんだ。死罪というのは、お前、俺らを殺してしまうことなんだよ」
「まあ、お前が打首《うちくび》になることにきまったのかい」
「ところがね、大神宮様の御領内はね、それ守護不入《しゅごふにゅう》といって、世間並みの土地とは違うんだ。死罪にしてもね、首を斬ったり磔刑《はりつけ》にしたりして、血を見せることはできねえ規則なんだ、不浄を見せては神様へ恐れ多いというんで、死罪の仕方が変ってるんだよ。それで俺らは、隠《かくれ》ヶ岡《おか》の上から地獄谷へ突き落されることにきまったんだ」
「隠ヶ岡から? あそこからお前、地獄谷へ突き落されてはたまるまい」
「昔はみんなそうして死罪に行なったものなんだよ、それが久しく絶えていたのを、俺らがそれでやられることになったんだ」
「危ないことだねえ、それをどうしてお前、助かったの」
「助からなかったんだ、俺らも突き落されて一ぺんは死んじまったのだよ」
「突き落されたの?」
「ああ、身体中へ縄をかけられてね、それで突き落されて死んじまったんだ、一旦は死んじまったんだけれど、与兵衛さんがその晩、そーっと死骸《しがい》を拾いに来てくれたんだよ」
「与兵衛さんが?」
「与兵衛さんは、せめて死骸でも拾って、仮葬《かりとむら》いでもしてやろうという御親切なんだね。それで俺らの死骸を担《かつ》いで来ると、その途中にお医者様が寝ていたんだよ」
「お医者様が寝ているというのはおかしいじゃないか」
「よっぽどおかしいよ、酔っ払って堤《どて》の上に寝ていたんだがね、そのお医者様を与兵衛さんと俺らと二人で踏みつけてしまったんだよ、暗いもんだからね」
「乱暴なことをしてしまったね」
「ところが、それでもってお医者様が眼をさまして、二人を見てね、病人ならここへ出せ、十八文で診《み》てやるなんて、おかしなことを言ったんだそうだよ。なんしろ仮りにもお医者さんだから、与兵衛さんがそこで俺らを診てもらったんだね、ところがそのお医者さんが、大変な名人でね、死んだ俺らを生かしちゃったんだよ」
「まあ、よかったねえ」
「そしてお前、与兵衛さんのところまで毎日のように療治に来てくれたんだ、それで俺らはこの通り丈夫になってしまった」
「ずいぶん感心なお医者さんだね」
「そりゃお前、感心にもなんにも」
 米友はまた眼をクリクリさせながら、
「それからお前、与兵衛さんに聞いてみるとね、お前は大丈夫、親船へ頼んだからというわけなんだろう、それでまあ、ひとまずお前の方は安心して、俺らも身体が丈夫になってみると、それでは一番お江戸へ出てやろう、今いうお世話になったお医者様が江戸にいるのだから、それを頼ってお江戸へ行くことにきめて、こうして出て来たんだよ」
「まあ、それでも、よかったねえ、わたしもあれから舟で東の方へ出たのですけれど、途中で舟に酔わされてしまって……」
 お君は、それから後の物語をする。米友は眼を円くしたり面《かお》をしかめたり、拳《こぶし》を握ったりしてそれを聞いていたが、
「やっぱり俺《おい》らたちが悪いことをしねえから、天道様《てんとうさま》が見通しておいでなさるんだ」
 米友は胸を叩いて喜んだが、
「ちょうど、お前が首をくくりかけた時にムクが行って助けたように、俺らも浜松のこっちの方で危ないところを坊さんに助けられて、それから一緒に歩いてるんだ」
「その坊さんというのは?」
「その坊さんというのは、あんまり金持の坊さんじゃあねえのだけれど、不思議なことにその坊さんと一緒に歩いていると、銭を出さなくっても人が大切《だいじ》にしてくれる」
「今その坊さんはどこにいるの」
「今この先の信心者《しんじんもの》の家にいるんだがね」
「そうしてお前、その坊さんの槍持をして歩いて来たのかえ」
「ううん、そうじゃねえ、この槍は俺《おい》らの槍なんだ」
「お前、槍を持って歩いてるのかい」
「そういうわけじゃねえ、府中の宿屋でこの槍を捻《ひね》くっているとね、亭主が来て見て、お前さん槍が使えるのかいと言うから、たんとも使えねえが、ちっとばかりは使えると言うとね、それじゃあ使って見せてくれというから、よし来たと言って、ちょうど部屋へ飛んで来た蝶々を一羽、突いて見せてやった」
「蝶々を突いたのかい」
「そこの亭主がね、俺らが蝶々を突き落すと、それを見てすっかり感心しちまったんだ
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