うと、一座はいよいよ静かになっているが、いっこう名乗って出るものもありません。
そのうちにがんりき[#「がんりき」に傍点]は、そーっと後ずさりをして人混《ひとごみ》に紛《まぎ》れて扉の側《わき》からこの席を抜け出でようとすると、上人が、
「世話人衆」
と世話人を呼びました。
「へえ」
肩衣袴《かたぎぬばかま》をつけた世話人が上人の前へ出て頭を下げると、
「今あの扉の外へ出ようとする男、あの男をちょっと呼び止めてこれへつれておいでなさい」
「へえ」
世話人と警衛の者三四名、人を分けてバラバラとがんりき[#「がんりき」に傍点]の傍へ寄って来る。それと見て近くにいた人も立ち上ってがんりき[#「がんりき」に傍点]の袖《そで》を控えて、
「まあお待ちなさい」
「何をしやがる」
がんりき[#「がんりき」に傍点]はその男を突き飛ばすと四辺《あたり》はまた総立ち。
「盗賊《どろぼう》!」
がんりき[#「がんりき」に傍点]を取押えようとかかるのを、
「ええ、小癪《こしゃく》な真似をしやがる」
二三人を手玉に取ったがんりき[#「がんりき」に傍点]、扉から欄干《らんかん》を一足飛びに縁の敷石の下まで飛び下りた身の軽さ。どこといって逃げ場所がないから、がんりき[#「がんりき」に傍点]は縁の下へ逃げ込んでしまいました。
警護の侍たちや参詣の群衆は直ぐに縁の下へ追いかけましたが、それに捉《つか》まったのは運悪く、がんりき[#「がんりき」に傍点]でなくて米友でありました。
米友は旅の疲れで、ついうとうとと眠りかけているところを、遮二無二《しゃにむに》折重なって、
「いた、いた」
「な、な、なにをするんだい」
寄ってたかって米友を縁の下から引張り出したのであります。
別に悪いことをしたわけでもないからと思って米友は、別に抵抗もせずに引き出されて来たのでありました。明るい所へ出して見ると、
「おやおや」
取捉《とっつか》まえた連中も少し呆《あき》れ面《がお》です。いま追いかけたのは、もっと身のこなしが人間らしい男であったが、これは子供、子供のように見える大人、大人のように見える子供。
「こりゃ違う」
誰が見ても米友とほかの人とは一見して区別がつくのであります。
「同類の者であろう」
違ったとはわかったけれども、それでも厳《きび》しく押えて逃がそうとはしません。
「それ、遠く逃げないうちに、もう一度探してみろ」
米友は米友で押えておいて、またがんりき[#「がんりき」に傍点]を探しにかかる。いつまでまごまごしているものではない、がんりき[#「がんりき」に傍点]の姿はどこを尋ねても見えるものではありませんでした。
「とにかく、そいつを引括《ひっくく》れ」
役人は米友を縄《なわ》にかけようとする。
「おや、俺《おい》らを縛るのかい、なんで俺らを縛るんだ」
引き出される時は尋常に引き出されて来た、ともかくも、黙って縁の下へ寝たのは悪い、悪いところはあやまった方がよかろうと思うから、尋常に引張り出されて来たのであるが、言いわけも聞かないで縄にかけるというのはいかにも了簡《りょうけん》がなり兼ねる、それはひどい、無理だ、と思ったから米友はムキになりました。
「なんで俺らに縄をかけるんだか、それを言ってもらいてえ」
「貴様はこの下で何をしていた」
「ここで寝ていたんだ」
「嘘《うそ》を言え、もう一人の仲間はどうした、白状しろ」
「仲間? 仲間がどうしたんだ、俺らは一人きりなんだ、一人で旅をして来てここへ寝たんだ、仲間なんぞはありやしねえ」
「嘘を言うな、太い奴だ」
警衛の役人が米友の横面《よこつら》をピシャリと一つ撲《なぐ》りました。
「おや、撲ったな」
さあ米友が承知しない、両の腕に力を籠《こ》めてうんと振りもぎると、押さえていた二三人がよろよろとよろけて手を放す。
「ナゼ俺《おい》らを打《ぶ》った!」
米友はそこいらにいるのを二三人まとめて抛《ほう》り投げてしまって、お堂の欄干の上へ飛び上りました。
「それ荒《あば》れ出した、怪我をするな」
六尺棒だとか、刺棒《さすぼう》、突叉《つくまた》なんという飾り道具を持ち出して、米友を押えようという騒ぎになってしまいました。
「どうして俺らはこんなに人に間違えられるんだ、悪いことをしねえのに悪者にしてしまやがる、ほんとに口惜《くや》しいなあ」
ほんとに口惜しい、米友は無邪気で痛烈な歯噛《はが》みをする、米友の身にとればほんとに口惜しいに違いないのです。
「仕方がねえから逃げちまえ」
逃げちまえといっても、下へは逃げられない、本堂は人がいっぱい。
「和尚様」
米友は素早《すばや》く人の中を潜《くぐ》り抜け、人の頭を飛び越すようにして遊行上人の膝のところへ来てかじりつきました。
「和尚様、
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