怖《こわ》くてたまらないところへ、見も知りもしない人と一緒に、どうして置放しにされていられるものか、
「ああ、わたしは帰りましょう、外へ出てしまいましょう」
「何も怖がることはないというのに」
 与兵衛はかえってお玉の縋るのを突き放すように先へ出て、扉《と》をハタと締め切って、自分だけさっさと出て行ってしまいます。
 お玉は取付く島がない。やっと落着いてみれば、悪気でここへ連れて来る与兵衛親方ではないし、ここにいる人だって、なにも自分を取って食おうというのでもないのだから、怖ろしいうちにもまたそこへ腰をかけてしまいました。
 知れない人は、まだ俯向《うつむ》いて眼を洗っていましたが、そのうちにふいとお玉の眼に触れたものは、敷物の傍《わき》に置かれた大小の腰の物でありました。それで、お玉はこの人がお武家《さむらい》であるということを知って、いっそう心細いような、心強いような、妙に混乱しきった心持になっていると、
「お豊から手紙を持って来てくれたのはお前さんか、こっちへお上りなさい」
 ようやく面《かお》を上げた人を見ると、痩せた身体に蒼白《あおじろ》い面の色が燈火《あかり》を受けて蝋のよ
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