思われ、お玉が行くと言えば、ムク犬が跟いて行くもののように、土地の人には覚えられております。
「お玉可愛や、ムク犬憎や」
 誰やらが言い出したのを、子供が覚えて、
「お玉可愛や、ムク犬憎や」
と言って、ムク犬を見かけると、最初は棒を出したり石を投げかけたりしたものでしたが、
「そんな悪戯《いたずら》をするものではありませんよ、怒ると食いつきますよ」
と言って、お玉がいつもムク犬の前に立ち塞《ふさ》がるものだから、子供はベソをかいて引上げる。
 そうかと言って、ムク犬がひとりでいる時には、子供はかえってそれに近寄ることを致しません。
 ムク犬はこの界隈《かいわい》のあらゆる犬より強いのです。ムク犬は容易に怒らず、容易に吠えないけれど、時あって怒って吠える時には、六尺の男が戦慄《せんりつ》し、街道を通る牛馬でさえ、立ちすくんでしまうことがあるくらいですから、子供らの歯には合いません、ムク犬もまた子供を嚇《おどか》すようなことは嘗《かつ》てしたことがないのです。
 お玉はよく間の山節をうたい、ムク犬はよくお玉を守る。
 この二つの主従は、いまや古市の大楼、備前屋の前へ来て立ちどまりました。

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