帰りというのに」
 少し言葉を強めて叱るようにして追ってみたが、犬はどうしても帰ろうとしませんので、お玉は石を拾って打つ真似《まね》をすると、ムクは身を躍《おど》らして後ろへは逃げず、行手の方へ走る。
「困るねえ」
 お玉は仕方なく、追わんとした犬に導かれて、古市の町の人込《ひとごみ》の中を、面を人に見られないようにして行くと、
「あれは間の山のお玉ではないか」
 町の人は早くも、お玉の姿を見つけ出して、
「お玉に違いない、お玉が、また逗留《とうりゅう》のお客様に呼ばれて間の山節を聞かせに行くのだ」
 土地の人は、よく知っていて見逃さない。お玉が通ることが、特に町の人の眼を惹《ひ》くのはほかに理由もあるのであります。
「あれ、案の定《じょう》、犬がいるわ、ムク犬が跟《つ》いて行くわ」
 お玉を併《あわ》せてムク犬をも見逃さないのであります。
 古市の町には、茶屋があり遊女屋があり見世物もあり芝居もあるのに、そのなかで、通りかかるお玉の姿が人の口の端《は》にのぼるほど、それほどお玉は土地の人にも旅の人にも覚えられているのでありました。
 そうして、お玉が行けば、間の山節を唄いに行くものと
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