丈の大振袖の前を胸に合せて、袋に入れた三味線を乳呑児《ちのみご》のように抱き、一文字の菅笠を俯向《うつむ》きかげんにして、わが家の拝田《はいだ》村の方へと急ぐのであります。

         三

 それから、いくらもたたない後、お玉の姿を古市の町の通りで見かけることができました。
 姿は前と同じですけれど、今度は笠をかぶらず、笠の代りに頭から手拭をかけて後ろへ流し、小腋《こわき》にはやはり袋に入れた三味線をかかえていましたが、
「ムクよ、もうここでよいからお帰りよ」
 やさしい言葉をかけられたのは、拝田村の住居《すまい》から附いて来た逞《たくま》しい一頭のムク犬であります。
 ムクは、お玉に頭を撫でられながら尾を振ってその面《かお》を見上げている、お帰りと言われても帰ろうともしませんから、
「今夜は、もう家へ帰ってお休み」
 お玉は、ここから犬だけを帰して、自分ひとり、めざす方《かた》へ行こうとするのでありました。
 いつも柔順《すなお》に言うことを聞くはずのムクが、帰れと言われても今宵はそれを聞き分けずに、お玉が歩きだすとムクはやっぱり後をついて来るのでありました。
「ムクや、お
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