て行って肉へは触《さわ》らせない、それで寄手《よせて》の連中がひっくり返る。後ろへ廻ってはムクがいる。八面|応酬《おうしゅう》して人と犬と一体、鉄砲を避けんために潜《もぐ》り、血路を開かんがために飛ぶ。
 どちらでも風向きのよい方に傾く屋根の上で見物の弥次馬は、米友とムクが生命《いのち》がけの曲芸を見てやんやと讃《ほ》め出してしまいました。さいぜんは面白半分に、米友とムクとに向って石や瓦を投げつけていた連中が、いつしか米友とムクとの贔屓《ひいき》になって声援をする。
 田丸の町の猟師の藤吉は、幾度か鉄砲を取り直してムクだけでも仕留めてやろうと覘《ねら》いをつけては、つけ損《そこな》う。騒ぎはますます大きくなって、古市の町はひっくり返りそうで、さしもの参宮道が一時は全く途絶《とだ》えてしまう。豆腐六のうどん[#「うどん」に傍点]を食いさした宇津木兵馬は、たかが一疋の狂犬に、さりとは仰々しい騒ぎよう哉《かな》と、いざ笠を被《かぶ》って店を出ようとするその出鼻《でばな》でこの騒ぎであるから、足を留めないわけにはゆきませんでした。人の肩越しからその気もなく覗いて見ると、さてもこの有様。
「はて
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