が出た!」
 ワァーッと叫びます。怖いもの見たさの店にいた連中は飛び出して見ると、ワッワッと逃げ惑う人畜の向うから、疾風《はやて》の如く飛び狂って来る大きな犬があるのであります。
「ムクだムクだ、間の山のお玉のムク犬だ」
 村方《むらかた》の方から驀然《まっしぐら》にこの古市の町へ走り込んだムクのあとを追いかけて来るのが何十人という人、得物《えもの》を持ち、石や瓦を抱えている。前には役人連、そのあとから番太《ばんた》、破落戸《ごろつき》、弥次馬の類《たぐい》が続く。
「それ狂犬だア、逃げろ!」
 追いかけたのとは反対の側から、また数十人、同じく役人、岡引《おかっぴき》、番太、破落戸、弥次馬の一連。
「そうれ、逃がすな」
 ムクは古市の町の左側の大榎《おおえのき》のところまで来た時分に、前後から挟み打ちにされてしまいました。
 大榎を後ろにしてムクの眼は蛍のように光る。血を浴びた首筋の毛が逆さに立って獅子の鬣《たてがみ》を見るようでありました。
 前足を組み違えて、尾をキリキリと捲き上げて、火を吹くような声で、ウォーウォーと唸《うな》って、もはやドチラへも切れることのできない囲みの中に立
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