のことになる。この豆腐六のうどん[#「うどん」に傍点]屋でうどん[#「うどん」に傍点]を食べていたまだ前髪立ちの旅の若い侍――と廻りくどく言うよりは、宇津木兵馬といった方が前からの読者にはわかりがよいのであります。
宇津木兵馬は、紀州の竜神村で、兄の仇《かたき》机竜之助の姿を見失ってから、今日はここへ来ているが、七兵衛やお松の姿はここには見えませんでした。兵馬は一人でここへ来て、一人でこれから内宮へ参詣をしようという途中にあるのでありました。
豆腐六のうどん[#「うどん」に傍点]は雪のように白くて玉のように太い、それに墨のように黒い醤油を十滴ほどかけて食う。
「このうどん[#「うどん」に傍点]を生きているうちに食わなければ、死んで閻魔《えんま》に叱られる」――土地の人にはこう言い囃《はや》されている名物。兵馬はそれと知らずにこのうどん[#「うどん」に傍点]を食べていると、表が騒々《そうぞう》しい。
「何事だ、何事だ」
店にいたものはみんな表を見る。通りかかった人が逆に逃げる。牛馬が驚いて嘶《いなな》く、犬が吠えて走る、鶏が飛んで屋根へ上るという騒ぎであります。
「狂犬《やまいぬ》
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