で掴《つか》むと隠れてしまう。穂先を左の掌で掴んで、右手で槍の七三のあたりを持つと、それで構えが出来る、その構えたところを相手が見ると、槍を構えているとは見えない、棒か竿か? と敵が当惑した瞬間に、短い穂先は掌から飛び出して咽喉元へプツリ。実に魔の如き俊敏なる槍であります。
 この俊敏なる淡路流の槍を遣《つか》うべく米友の天性恰好が誂《あつら》え向きに出来ておりました。
 米友は槍を学ぶとしては前後にたった三日であるが、槍を扱う素質とては一日の故ではありませんでした。庭を飛ぶトンボを突く、川を泳ぐ魚を突く、今も鶏を追う鼬を突いた。そのくらいだから、宇治橋の下に立って、客の投げる銭を百に一つも受け外《はず》すということはないのでありました。それに加うるによく木登りをする、高いところから飛ぶ、広い間を飛び越える、深い水を泳ぐ。天公《てんこう》はいたずら者で、世間並みでないところへ世間並み以上の者を作る、お杉お玉の容貌《きりょう》もそれで、米友の俊敏なる天性もそれであります。

         十

 ここにまた話が変って、古市の町の豆腐六《とうふろく》のうどん[#「うどん」に傍点]屋の前
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