れを「網受け」と申します。
[#ここから1字下げ]
「織田|平《たひら》ノ信長没落後、家臣|鳥屋尾《とりやを》左京ト申ス者、当所ニ来住ス。傍輩《はうばい》ノ浪人ハ其ノ縁ヲ以テ諸大名ニ奉公ニ出デ、又左京儀ハ他家ノ主人ニ仕フル事、本意ナラズ存ゼラレ候。然レドモ浪人ノ身、渡世ノ送リ様コレ無キヤ、毎日大橋ノ下ヘ出デ竹末《ちくまつ》ニ編笠ヲ付ケ槍ノ上手故、其ノ目的ヲ以テ諸参宮人ニ銭ヲ乞ヒ百銭ニ一銭モ受ケ落スト云フコトナシ」
[#ここで字下げ終わり]
この鳥屋尾左京を網受けの元祖として、米友はその流れを汲んで、やはり宇治橋の下で網受けをしているけれど、身分は左京の後裔《こうえい》でもなんでもない、同じく拝田村系統のほいと[#「ほいと」に傍点]の出であります。
米友の天性は小兵《こひょう》で敏捷《びんしょう》。この網受けに割振《わりふ》られるものは、まず槍の使い方を習わせられるのを常例とする。米友はその常例によって、旅に来た浪人から「淡路流《あわじりゅう》」の槍の一手を教えられたが、三日教えられると直ぐにその秘伝《こつ》を会得《えとく》してしまいました。
淡路流の槍は穂先が短い、掌《てのひら》
前へ
次へ
全148ページ中51ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング