いますとも」
この時に、竹藪の中を見込んでいたムク犬は、急に起き上ると驀然《まっしぐら》に藪の中をめがけて飛び込んでしまいました。
「どうしたんでしょう、ムクが落着かないこと」
お玉もまた竹藪の中を見込んで思案顔。
「狐が出たのでしょうよ」
「そうかも知れません」
ムクはしばしば狐を取り、狼を追いかけることがありました。ムクが出動をする場合は、大抵この二つの場合でありましたが、その狐も今は絶えてしまったようだし、狼もムクを怖れて、幾年にもその影を見せませんから、この村には、今ムクを起すべき非常のことが一つもなかったのです。無論、それと知ってこの村あたりを犯す盗人の類《たぐい》がある由もありません。
「狼が来るはずはありませんね」
金ちゃんの母親も、ムクの走り込んだ竹藪を見込んで不審顔《ふしんがお》をしています。
「ムクや、ムクや」
お玉は縁側へ立ち上ってムクを呼びますと、しばらくして物を唸《うな》りつけるムクの声、竹藪の中がガサガサすると見れば、そこから飛んで出たムクは、今度は一散《いっさん》に木戸の方へと走りました。
その木戸口から今、一人の人が入って来る、よくこの辺に見
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