音が、ここばかりは陰《いん》に籠《こも》るかと聞きなされて、古市の町の明るい灯《ひ》を見ながら、この鐘の響を聞くと、よけい、寂しさが身に沁《し》みるように思われます。
「夕べ、あしたの鐘の声……なんだかお玉さんのようだねえ」
 並木の蔭に立ち止まって、後ろを振返ったのは、片手に三味線を包んだ袋を抱えた、まだ年の若い女の子であります。
「どうしたのでしょう、呼んでみようかしら、お玉さあ――ん」
 お玉さあ――んという声が並木の梢《こずえ》を伝って、田圃《たんぼ》の方へ消えて行くと、また常明寺の鐘が鳴る。
「ほんとに、どうしたのでしょう、わたし淋しくなる、もう一度、呼んでみましょう」

         二

 古市を知るものは伊勢音頭を知る。間《あい》の山《やま》を知る者はお杉お玉を知らねばならぬ。
「お玉さあーん」
 寒風《さむかぜ》の松並木のあたりで、連れの名を呼んでみた女の子は、申すまでもなくお杉でありました。
「あいよ」
 女にしてはキッパリした声で、向うの闇の間から返事をして、駈足の気味でこちらへ来るのは、やっぱり同じ年頃の娘姿であって、小腋《こわき》には同じように三味線の袋に
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