とさあらぬ体《てい》に落着いて見せるのもありました。しかし大変は大変でありました。旅に来て路用を失くすることは誰にしても好い心持はしない。ことに女にうつつ[#「うつつ」に傍点]を抜かしている間に、肝腎《かんじん》のものをしてやられたのでは、あまり芳《かん》ばしい土産話にはならないのです。五人のお客も内心の腹立ちと悄気方《しょげかた》は一通りでないのですけれども、そこは時と場合で、そうクヨクヨ言ってもおられないのであります。
お客の方が困るばかりでなく、店の方ではなおさら困ります。伊勢の古市のこれこれへ行って盗賊にやられたという噂《うわさ》が立つのは、大楼の暖簾《のれん》の手前もある、備前屋の主人は恐縮して、家の内と外とを隅から隅まで調べさせて、役人へも訴え出ようとするのをお客たちは差留めて、
「あればあったでよし、なければないでよいから、表沙汰にしてもらいたくない」
彼等には彼等の身分というものがあって、表向きにされた時に、かえって金銭には換えられない恥を取るという懸念《けねん》もないではなかったようです。
別段に他から賊の入った様子が見えないこと、これが第二の不思議であります。
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