の広間と、うすぼんやりの燈籠の庭では前に記したような光景であります。
広間では五人づれの若侍が、風流の気取りで聞いている。取巻きの連中は、忌々《いまいま》しい腹で聞いている。ここの二階では、死ぬつもりで聞いている。お玉は無心で、母親から伝えられたという節のままを天性の才能で唄っている。
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野辺より彼方の友とては……
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この時、表に待っていたムク犬が、低く唸《うな》るように声を引いて吠えました。ムク犬が声を立てることは珍らしい。しかし、この時の吠え声は人を驚かすほどに高い声ではなかったから、誰もムク犬が鳴いたとさえ気がつかなかったのを、弾きさしていたお玉の三味線にはそれがこたえて、お玉はハッと撥《ばち》を取落すばかりにしました。
ムク犬の吠える時は、お玉にとっては、きっとそれが何かの暗示になります。
二声目を聞こうとしたが、それはそれだけで納まって、それからムク犬は吠えませんでした。
お玉は、いくらかの紙包を貰って備前屋を出た時分は、もう夜もかなり更《ふ》けていました。門を出ればムク犬が待っていて、尾を振って迎えるはずのが、どうし
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