れ、その夕べあしたの鐘の声というのよ、それがほんものの間の山節ということじゃ。今は廃《すた》れたという話だから、せっかく来ても聞けるか聞けないかと、心配をしながら来てみたのじゃ。なるほど伊勢音頭も花やかでよい、花やかで面白いけれども、それ数奇者《すきもの》には得て癖がありがち、家に容貌《きりょう》なら品行《ひんこう》なら申し分のない女房を持ちながら、かえってその女房より容貌も位も十段も劣った女に溺《おぼ》れて、迷い込む者もあるものよ」
「左様におっしゃれば、そのようなものでござりましょう、殿様方もさだめて左様なお物好きでいらせられればこそ、お江戸の美しい花にもお見飽きあそばして、古市くんだりまでこうしてお調戯《からかい》にお下りあそばしまする、鯛《たい》も売れれば目刺《めざし》も売れる、それで世の中は持ったものでございますね、よくしたものでございますよ。なんに致しませ、間の山節とやらも一度お聞きあそばしますも旅のお話の種でござりましょう。もう参りそうなもの」
 この仲居、なかなか口が達者です。この時、程近いどこかの大楼でまた賑かな伊勢音頭の拍子《ひょうし》、
「ヨイヨイヨイヤサ」

 
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