椎《くびのほね》には異状がない」
「へえ」
「胸脇《むねわき》の骨が折れて肺へでも触《さわ》ろうものなら見込みはないが、そこにも異状がない」
「へえ」
「脳蓋《のうがい》といって頭の鉢を打《ぶ》ち割ればこれも望みはないが、幸いにその鉢の頭も無事だ」
 頭の鉢というのを鉢の頭といってのけました。当人は気がつかないで澄ましていたが、傍《かたえ》の老人はこの場合にもおかしさを噛み殺さずにはいられませんでした。
「腰骨《こしぼね》にも横骨《よこぼね》にもこれまた異状はない、右の方の脛《すね》の骨が折れている」
「へえ」
「そのほか、身体中、処嫌《ところきら》わず打創《うちきず》かすり創だが、それらは大したことはない」
 おかしなお医者さんだけれども、その診方《みかた》の親切なこと、そうして暗い中で、どこがどう、ここがこうということを掌《たなごころ》を指すように言ってみせるから、はじめは険呑《けんのん》がっていた老人が、そぞろに信頼の念を高めてしまいました。
「おい、お爺《とっ》さん、この人をこうして押えておいで」
 道庵先生は小男を半分起して、そのブラリとした左の手を持って腋《わき》の下《した
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