貧乏でそのうえ不自由の身じゃ、これがせめてもの寸志、どうかこれを受取ってもらいたい」
お玉は、またもここで奇異なる思いをせねばならぬ、こんな薄情な人でも自分にお礼をしようというしおらしい心があるのか知らと思わせられたのでありました。そうして、この中でお礼とは何かと見ると、刀の下緒《さげお》の間に挿《はさ》んであったと覚《おぼ》しく、それを抜き出して手に持ったのは、意外にも一本の銀の平打《ひらうち》の簪《かんざし》でありました。
「まあ、この簪をわたくしに……」
思いがけないものを出されたから、お玉は三たびここで奇異なる感に打たれたのでありました。
「これはあり合せ、そなたの年頃に似合うか似合わぬか、それは知らぬ、下《さが》り藤《ふじ》になっているはずだが、それでも差料《さしりょう》にさわりはあるまい」
「お礼なんぞ、飛んでもないことでございます」
お玉はそれを受けようとしなかったが、今こうして簪を一本、自分にくれようとして差出した人の姿を見ると、今の先、薄情呼ばわりをして怖い人、いやな人、呪わしい人と一途《いちず》にムカムカとしてきたその人の影に、可憐《いじら》しいものが見え出し
前へ
次へ
全148ページ中103ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング