とであります。
東男《あずまおとこ》に京女《きょうおんな》という諺《ことわざ》はいつごろから出来たものか知らないが、事実はこの時代にやはりそうであったものだそうであります。あの頑固《がんこ》な三河武士が、そんな大した通人に出来上ってしまったということが、やがて徳川の亡びた理由であると、賢《さか》しげに説いている人もありましたが、事実はやはりその通りであったかも知れません。
音頭はいま一踊り済んだところで、上の欄間《らんま》から吊《つる》した五十幾つの提灯《ちょうちん》と、踊りの間《ま》いっぱいに立てられた燈《ともしび》とが満楼を火のように明るくしている中で、五人連れの若侍は陶然として酔って好い気持になっております。
「間の山節はまだ見えぬかな」
中程にいた黒羽二重《くろはぶたえ》、色が白くて唇が紅くて、黒目がち、素肌《すはだ》を自慢にする若いのは、どこかで見たことのあるような侍ですが、間の山節を待ち兼ねて言葉に現われますと、これは芝居に出てくる万の[#「万の」に傍点]に似た仲居《なかい》の年増《としま》。
「はい、もうこれへ参りますはずでござりまする、どうぞ、もう一つお過ごしあそ
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