とない遣い手である様子じゃ」
「そのことは心得ておりまする、憎むべき敵《かたき》なれども、剣を取っては甲源一刀流において並ぶものがござりませぬ」
「もとより貴殿とても、島田虎之助殿取立てのことなれば、抜かりもござるまいが、何を申すもまだお年若」
「左様にござりまする」
「ことに、あの太刀先が難剣じゃ。じっと青眼に構えて、ちっとも動かず、相手の出る頭《かしら》を待って打つという流儀と見受け申した」
「いかにも左様でござります、あれは関東の剣客が、名づけて『音無しの構え』と申し、かの竜之助が一流の遣い方でござりまする」
「そうでありましょう。さて、兵馬殿、失礼ながら、御身にはその音無しの構えとやらをどのようにあしらわれる、その工夫《くふう》は……」
「工夫とては更にござりませぬ、ただこの太刀先に柄《つか》も拳《こぶし》も我が身も魂も打込めて、彼が骨髄《こつずい》を突き貫《ぬ》く覚悟でござります」
 丹後守はその一言を限りなく喜んで、
「それでなくてはいかぬ、それならば必ず討てましょう。よし相討ちになるまでも、我の受ける傷より、敵に負《お》わす傷が深い……時に兵馬殿、わしが家の道場を見てもらいたい」
「ありがたき仕合せ」
 丹後守は兵馬をつれて邸内の道場へ来ると、今まで話が槍術《そうじゅつ》に亘《わた》ることをすら避けていたのに、ここで我から進んで身仕度《みじたく》をして襷《たすき》をかけ、稽古槍を取り下ろしました。さては見処《みどころ》があって、兵馬のために宝蔵院流の槍の秘術を示すためか知らん。

         十七

 話がまた少し戻って来ます。
 榛原《はいばら》の山道で薬屋源太郎が打たれた時、机竜之助はその鉄砲の音を聞いて駈けつけたが、七兵衛は早く兵馬に知らせたいことに急がれて、鉄砲の音には心を残して西峠まで走《は》せて来た時、そこで行逢ったのが駿馬《しゅんめ》に乗った二人の武士。
 この二人の武士もまた時ならぬ鉄砲の音に驚いて、
「さては」
と丹後守の言ったことを思い合せたところへ、ぶつかったのが七兵衛でした。どうもこういう場合に七兵衛の足どりが穏かでない。
「待て」
 すれ違いの時に、内山という若い方の武士が鋭く七兵衛を呼び留めました。
「へえ……私共でございますか」
「お前は、いま向うから来たようだが、あの鉄砲の音は何事だ」
「いっこう存じませぬ、大方、猟師さんが雉子《きじ》でも打ったんでございましょう」
 もとより七兵衛は何も知らない。もし間違いであって、拘《かかわ》り合いになっては面倒だから、いいかげんにあしらってサッサと歩き出すと、内山はよほど七兵衛を怪しい者と認めたらしく、
「待て待て」
「いや、急ぎますから、私共は急用の者でございますから」
「待てというに待たぬか」
 七兵衛は足が早い、それを弱味があって逃げ出すものと認めたらしく、内山は丹後守から預かって来た「引落し式」の拳銃を七兵衛のうしろから差向けて、威《おど》すつもりで切って放した弾丸《たま》が、七兵衛の右の頬のわきおよそ一尺ぐらいのところを風を切って通ります。
「何をなさいます」
 これには七兵衛も驚いた、いくら七兵衛が足が早いとても、鉄砲の玉にはかなわない。足をとどめて振返る途端《とたん》に左手の林の中へ飛び込みました。
 馬上の両人は弾丸に驚いた七兵衛が、立竦《たちすく》んでしまうだろうと予期していたところを、彼は驚くべき敏捷《びんしょう》さで林の中へ身を投げ込んでしまったから、
「おのれ、曲者《くせもの》!」
 二発、三発、例の拳銃を林の中へ打ち込んで、馬から飛び下りて探してみたが、もう七兵衛の姿は見えない。

         十八

 ここは針《はり》ヶ別所《べっしょ》というところの山の奥の奥。谷合《たにあい》の洞穴《ほらあな》へ杉の皮を葺《ふ》き出して、鹿の飲むほどな谷の流れを前にした山中の小舎《こや》。
 無論、ここまで来てみれば、小舎も流れも、どこからも見えはしない、ここまで来るのでさえ道というものはついていない。
 今、その中で人の話し声がする。いかに大きな声をしたからとて山の上まで響くはずがない。よし山の上へ響いたとて、そこには誰も聞く人はない。
「金蔵、うまくいったな」
 ゾッとするほど気味の悪い鍛冶倉《かじくら》は、小舎の中へ敷き込んだ熊の皮の上にあぐらをかいて、煙草を吹かしてこういう。
「親方、うまくいきました」
 金蔵はまだ落着かない様子。
「まあ、暫くはここで窮命《きゅうめい》しろ」
 鍛冶倉は、この辺の山の中へところどころこんな小舎をこしらえておく。そこへはいつでも十日分ほどの食料を用意しておく。
「親方、こうなってみると、俺は一刻も早くお豊をつれて里へ出たい」
「ばかなことを言うな、いま連れ出せば罠《わな》の中へ
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